過去の自分がすべて嫌いだと思う。
過去のすべての自分の言動、考えが嫌になってしまう。
どんなに素晴らしい活動ができたとしても、功績を残せたとしても、過去の自分は何故か忌々しい。
加えて、嫌なものには蓋をするきらいがある。
嫌なことを延々と考え続けるのは、私の精神の健康にとって良くないことなので、嫌なことがあるとすぐに忘れることにしている。
それと同じようにして、自分の過去を知っている人と再会することに対して、強い抵抗感がある。
特に自分が幼く未熟だった、小、中学校時代の同級生には会いたくない。過去の自分をよく知る存在と関わることで、その存在から過去の自分を見つけてしまう。すると、私は忌々しい過去の自分と対峙している気分になる。
のではなないだろうかと思ってしまう。
これは誰にでも言えるところはあるのではないだろうか。
人間は通常日々変化していくものであり、もし、自分は良いふうに変われたと思えれば、過去の自分を恥ずかしく感じてしまうことは間違いないはずだ。
しかし、私は不思議だと思うことがある。
自分の醜い過去を知っている者のはずなのに、再会を喜び、それらの人々を大好きだと言う人がいることだ。
過去を知る者との再会を喜べる人は過去とどう向き合えているのだろうか。
そもそも自分の過去をそこまで恥じていないのだろうか。
私が考えすぎていることは否めない。
私はこれからも環境が変わる度に人間関係を失ってしまいそうで怖い。
友人や先輩後輩とは永遠に付き合っていたい。
どう考えることができたら私は堂々と同窓会に参加することができるのだろうか。
常に誇れる自分でいれるように、努力することしか私には思いつかなかった。
せめて現在の自分は誇れたら多少は自信がつきそうだった。
しかしそれを実行したこの三年間は、私にとって特別なものにはならなかった。
結局、過去は常に嫌悪を感じさせる。
嫌いなものに蓋をせず、受け入れることが必要なのだろうか?
具体的なことが全く見えないが、後輩との再会を心から喜ぶあの先輩に話を聞いてみたいと思った。
長々と書いた文をここまで読んでくださった方はありがとうございました。
なにか思うところがあれば返信いただけると幸いです。