価値観に価値はない。インナーチャイルド。
私は幼少期に母親の期待を裏切らないように
生きてきた。小学三年生の学期末に通信簿
をもらった日、成績が少し下がっていたのを
もう二度と期待しないと言われて酷く傷付いて
以来、期待に応えなければ存在価値がないと
思い込んで未だにその感覚が消えない。
何かを学びアウトプットする際、言葉を発する
ことでさえ失敗が怖くて異常に緊張し、楽しむ
ことができない。今は少しずつ価値観のシフト
を試みている。思春期の頃から今でも精神不安
の波が襲って来て酷い時は希死念慮さえ起こる。
少しずつ分かって来たことを纏めると、仏教で
いう「一切皆苦」とは人間は理想と現実の間で
葛藤する生き物であるので不安になったり苦しむ
のは当然であるということ。色即是空、空即是色
とは人間が誕生する以前、言葉や意味が無かった
時代には「色」は存在せず「空」の状態だった。
もっと言えば空すら存在しない。価値観は色で
あり人間が創り出した思い込みである。色と空は
同時に存在する。では生きるとは何か。私は最近
厳寒の北国に行き、闇夜の中で日本海を仰ぐ大岩に
登り、強風に抗いながら死の危険と直面した。
一歩踏み外せば死ぬ。誰もいない。冷たい海の
底に沈む。そこで感じたのは紛れもなく「生」
だった。死んでたまるか。生きてやる。理性を
超えて本能の最も根源的な所に命を見つけた。
生と死は同時にあるのだと初めて知った。
生きるとは価値があるとかないとかそういう
次元の話ではない。生きるとは生存本能である。
死の危険に晒された時、理由もなく立ち上がって
くる猛烈なエネルギーである。私には、人間には、
全ての命には存在価値、生きる理由など必要ない。
敢えて言うなら死に相対する生きているという
感覚、エネルギーを感じること、命を膨らませる
こと(岡本太郎氏)があるとよいと思う。
生きる感覚を体験してから自分をなぜか許せる
ようになって来た。あんなに上手く行かなかった
のに。存在価値がないから何だと言うのか。いいよ
許すよ。駄目でも格好悪くても狡くても嫌な感情を
抱いても能力が低くても結果を出せなくても評価を
気にしてしまっても罪悪感を抱いても全部。私は
価値を上げるために生きているのではない。ただ
今を生きている。
これが今の私の精神段階。より学びを深めて行こう。