私は音楽が、歌が大好きだ。歌っているときの多幸感は歌っているときにしか味わえない何よりもの幸せだ。中学からは合唱部に入った。欠席率も低く、頑張ってきたはずだ。でも、きづきはじめてしまった。私には才能がない。
それでも中学は頑張れた。でも、もしかしたら今ほど音楽が好きではなかったのかもしれない。その頃の生活の中心は音楽から少し外れていた。
高校に入って、未経験者が大半の中で、全く上手くなどない自分に絶望した。私の3年間はなんだったのかと。努力が足りないのは分かっている。私より本気でやってきた人がたくさんいるのもわかっている。でも、私より練習量も少ないのに、私より上手いあの子はどうして。私より褒められて、頼られて、妬ましくてたまらない。
でも、あの子のことは大好き。ちょっと風変わりだけどいつも明るくて優しい私の親友。そんな優しいあの子に嫉妬してしまう自分も嫌い。
私は昔から現代文ができる。読解力とか、想像力とか、共感力とか。多分そういう才能はあるんだと思う。振り返ってみれば昔から難なくできた。だからこそ、辛くて仕方ない。なんの才能もない方がマシだった。なんで私の一番欲しいものではないところに才能が与えられてしまったんだろう。今ある才能をすべて捨てて、それで歌がうまくなるなら、私は喜んで捨てるのに。
せめて、才能が得られないなら、圧倒的な才能を目の前に突きつけることだけはやめてほしかった。その目の前に突きつける役を私の親友にしないでほしかった。
あの子が褒められるとき、あの子の歌に感動するとき、私はいつも心のどこかで嫉妬で狂いそうになる。本当に馬鹿みたいってわかっているのに。歌の才能がほしかった。今でもほしい。
誰にも言えないから、ここに吐き出させてもらいました。
練習すればするだけ上手くなるなんて
詭弁だと立証されてしまいましたよね。
練習量と成果は比例しないのだそうです。
それを知った私は
音楽を投げたしてしまいました。
でも私は
才能が問われる舞台には立てたことないのにいきがってました。
出された課題をこなすだけでは磨かれないけれど
ふとした「きっかけ」を掴んで化けることがあるみたいです。
その「きっかけ」を掴むためには
やはり
練習をこなさないといけないし
自分に合った奏法や表現を研究しなければならない見たい
お互い
難儀な世界に足突っ込んじゃいましたね
音楽は、才能がどうので終われるようなヤワな世界ではないみたいです 。
あなたが越えなければならない壁は
親友さんではなく
昨日のあなたです。
今私はピアノの先生をしています。
あなたの音楽を
あなた自身が1日も早く見つけられますことを
心から祈念致しております。