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助けて下さい。こんな人生から解放されたいです。半生を綴っているので大変長い文章ですが読んでくれる人はいるんでしょうか。来月22歳に

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来月22歳になります。お誕生日を目前にして、こんな状況になってしまい、もうどうしようもありません。

今までの半生、辛い事多々、嬉しい事少しでしたが、総合してとっても大切な半生であったと誇りを持っていました。
「死にたい」と思う時は辛い事があった時。それ以外は本当に全てひっくるめて楽しい人生を送っていると思っていました。

だけど、年が明けていつからなのか、何も無いのに「死にたい」と思ってしまいました。そう思い始めてから、今この時までずっとです。楽しかった事も思い出せなくなって、大好きなお友だちとも会いたくなくなってしまいました。頼りにしていたお仕事の上司や先輩方にも会いたくない、大好きな趣味も手に付かない、彼氏には会いたいけれどぎゅっと抱き締めてキスをする事以外したくない(それ以上の事や、言葉を交わしたりといった事をしたくない)。
しまいには昨日お仕事を休んでしまいました。それは連絡をしましたが、今日に至っては無断欠勤してしまいました。大好きな職場に、ダメな事と分かっているのに無断欠勤をしてしまいました。電話がずっと鳴り響いています。

どうして突然こうなってしまったのか、いつからこんな気持ちなのか、正確に思い出せません。自分自身の悩みはたくさん持っていますが小さい頃からの悩みに他の悩みが重なって今たくさんある状態なので、どうして今になってこんな事になっているのか、何もかも分かりません。

一つ一つ整理しながら、思い出しながら、書かせて下さい。

小学校の頃に朝起きれなくなりました。
中学校からは遅刻の繰り返し、吹奏楽部でしたから、朝練習に顔も出せず、先輩方も女の人ばかりでしたから、とても怒られました。
高校生になって、また遅刻や欠席繰り返しました。理解のない先生たちに毎度毎度怒られました。今思い出してもあんなに怖い大人は居なかったと言えます。それ程に怖い先生達でした。怒られて泣いている自分が情けなくて、理解のある先生もいましたが全ての先生に心を開けなくなりました。もちろん単位制でしたから、単位を落とし、春休みの補習に通う事でなんとか卒業しました。
それから県外の専門学校に進学しましたが、専門学校時代が特に酷かったです。でも休日くらい何も考えず楽しく遊びたかったですし、バイトをするようになりました。バイトはとっても楽しく、私の心の安らぎでした。そこで出会う大人はみんな私が両親や私が通っていた学校の教師たち、今まで見てきた大人という生き物とはまるで違って信頼できる人たちでした。仕事内容も、環境も、仕事場という空間への一目惚れもあって、すべてにおいてそのバイトが一番やりたい事のように思えたのに加え、やっぱり自分には学校のような場所は向いていないと判断し、両親のお金で学費や生活費を払って貰っていたのにも関わらず、反対を押し切り自主退学を選び、続けたいと思っていたそのバイトが、今やっているお仕事になります。

県外の専門学校を選んだのには、また別の理由があります。
私は長女ですが、一つ下、それから五つ下に妹がいる三姉妹です。真ん中の妹は、知的障害を持っています。年子の妹ですから、私が一歳の時に生まれ、両親はその次女の方に付きっきりになってしまいました。もちろん寂しいなんて気持ちはまだ分かりませんでしたが、五歳の時には末っ子が生まれましたから、また両親は末っ子に付きっきり、私は物心ついた時から両親にかまって貰えずに寂しかったです。
末の子は甘え上手でしたから、欲しいものはなんでもすぐに買ってもらえていました。それを見て我慢していた私も両親に頼んでみるのですが、どう頑張っても買って貰えませんでした。何度も駄々を捏ねて、玄関から放り出されて鍵を閉められ長時間放置された事もありました。
小学校の時から部活だってやりたかったけど、許して貰えませんでした。だけど、末の子は簡単に部活に入れたんです。その頃には私は中学校に入学していましたから、吹奏楽部に入っていましたけど、小学校の部活は中学校のものに比べて部員の親が付きっきりになるんです。帰ったら夕飯は作り置きされていて、遅い時間になって母といっしょに帰ってくる末の子が恨めしいと思っていました。
私はさっき雪の降り積もる中で中学校から一人で帰って来たのに、と。
小学校で運動部に入った末の子とは違って私は図工や美術、音楽などの方が得意でしたから、一生懸命やって評価も良く貰っていたのですが、私の話は両親には聞いて貰えませんでした。対して末の子は母が付きっきりで部活に行っていましたから、説明しなくても末の子のお友だちを母も父も把握していて、いつも話を聞いて貰っているんです。真ん中の子は支援学校に通っていましたから、もちろん母はお友だちやその両親を把握していました。こうやって整理してみると、母も大変だっただろうと思います。でも私だって同じように見て欲しかった。「しっかり者だから」なんて褒め言葉なんかいらないから、私の話を聞いて欲しかったんです。
高校に入っても関係はあまり変わりませんでした。周りの子がお小遣いを貰っていたり、バイトを始めていったのに対してお小遣いを貰っていない私は帰り道にいっしょに遊ぶ事が出来ませんでした。
小さい頃から何をお願いしても両親にはダメの一点張りをされていたので、お小遣いなんてもらえないだろうと思い「家事をお手伝いするので一つの家事につき50円欲しいです」と頼み出た事がありました。さすがにこれなら受け入れて貰えるだろうと思っていたのですが「そうやって交換条件出さないと家事をやらないのか、あんたのそういう所が嫌いだ」と一蹴りされてしまいました。
それでもどうしてもお友だちと同等の遊びがしたかった私はバイトを始めました。私の通っていた高校は届け出さえ出せばバイトはやっても大丈夫な学校でしたが、睡眠障害で遅刻や欠席を繰り返す私に先生達は本当に理解を示してませんでしたし、その怒り方も今思い出しても恐ろしい程でしたから、遊ぶお金が欲しくてバイトをしたいですとは到底言い出せず、無断でバイトを始めていました。届け出を出さずにバイトをしている子は他にもいました。それも一年程経ち、ある同級生の告発で届け出を出さずにバイトをしていた全員が停学、或いは訓告を受けました。私は停学二週間でした。
まず生徒指導室に呼び出されて渡されたのは、10cm以上に重なっている紙の束で、それは私のtwitterのプロフィール、投稿全てでした。実は他の停学処分、訓告処分をされた友だちも同じようにされたらしく、全て告発した生徒がtwitterのアカウントまで告発し、先生達に教えたそうです。それからtwitterの鍵アカウント、LINEの全てのトーク内容、メールの全ての送受信、見せるよう脅迫のように詰め寄られ、全て見せないとその場から解放されない、という時間が訪れました。私は粘り続けましたが、最後もう遅い時間になってから限界になり泣きながら私のプライベート全てを見せました。今思えば見られて困る内容なんて無かったですが、自分のプライバシーが私の事を何も理解しようとしてくれなかった教師に侵害されているという気持ちで耐えられなくなりました。
バイトを辞めさせられて、もうお金もなくなった所でバイトを辞めさせられた他の友だちはお小遣いを貰い、また以前の様に遊び始めました。
そこでもう何も為す術の無くなった私が手を出したのは、母の財布でした。後から知りましたが、母はパートの身で、私の暮らしていた地域では時給700円代が多く、母の職場もそうでした。母は家庭の中で食費を受け持っていましたから、五人分の食費や三姉妹の靴や部費、末の子のユニフォーム代等であまり財布にお金が残っていなかったようです。
私が次に手を出したのは父のキャッシュカードでした。バイトでキャッシュカードからの引き落としには慣れていたので、父の引き出しから盗み出してその横にあった4桁の数字をそんな訳ないと思いながらも打ち込むと引き落とせてしまいました。そこからの私は止められませんでした。
当然少しして両親にバレ、殴られたり泡を吹くほど首を締められたり怒られました。一番ショックだったのは自分の高校の授業で作った、とても評価の高かった作品で殴られた時でした。
「お前なんか学校に行くな」と母に部屋に閉じ込められましたが、今まであまり接点のなかった父が会社の昼休みに自宅に戻って来て「学校に行こう」と連れ出してくれたのは嬉しかったので今でも鮮明に覚えています。
学校に着いて職員室に行くと教師に呼び出されました。遅刻の繰り返しに痺れを切らしたのもそうですが、実はその日は定期テストの日だったんです。
「テストを休む事がどういう事か分かっているの?」また、生徒指導室で恐ろしい時間が始まりました。放課後まで生徒指導室からは出して貰えず、母が呼び出され、「あなた達の家庭どうなっているの?」と。母は泣き出して教師に訴え掛けていましたが私はその内容を覚えていません。私の気持ちを言う時間をあっさりと母に奪われてしまったのでもうその生徒指導室にいる事は私にとって無意味になりましたし、本当にどうでもよくなりました。最終的には「月¥5,000のお小遣いを私に渡す」という決断が出たので、なんだかんだ大人同士で話が上手く進んだんだと思います。そのお小遣いも高校生活最後の月までなんて続きませんでしたけど、私はもう両親に何も言えませんでした。
私の目的は別にあったからです。もう家族から離れて県外に進みたいという目的です。反対を押し切りましたが、結局寮に入るという事は譲られず門限付きの寮生活で県外の専門学校への進学を許されました。正直あまり家族から離れられた感じはしませんでした。
高校生活を振り返ると思い出すのは二つ、一つ目はある日の二時限目の授業中に目の前が歪んで倒れてしまい保健室に運ばれた時、昼休みも挟んで兎に角ベッドから起き上がれず放課後になってようやく母が迎えに来た事です。母にとっては稼ぎも大事だったでしょうが、上体を一切起こせなかった私からすれば不安で、また教師にも「君のお母さん連絡しても仕事から出てこれないの一点張りだけど、どうなってるの?」という言葉を浴びせられ、寂しくなったものです。最近それが人生初の貧血だったと知り、それももうどうでもよくなったばかりでしたが。
もう一つ思い出すのは三年生の最後、三年生を送る会の出し物を三年生からも出さなければいけずに学級委員長だった私は映像の編集を暗くなるまで学校でやっていました。編集係がろくに働きもしなかったので、私と、もう一人責任感の強い私の親友と二人ででした。途中私の体調がおかしくなり、なんとか編集を最終段階まで持っていきましたが、次の日に最後の部分の映像を学級全員で撮影しなければならず、それを仕切らなければいけなかった私は帰宅後39℃あった熱も冷却シートで誤魔化して寝ました。翌日登校しても熱が下がらず、その時は教師に怒鳴られました。なぜ体調が悪いのに登校するのか、と。散々体調不良といって遅刻や欠席の電話を入れても怒っていた教師がです。教師にとっては目に見える、例えば熱が出たとか骨折したとかが無ければ休む理由にはならなかったそうです。

高校でバイトを始めた訳ですが、月二万円以上も稼げた事が当時の私には想像以上に嬉しく、何に使ったかといえば友だちのようにお化粧品でもなければお洋服でもなく、何故か最寄り駅のコンビニに売っている食べ物でした。その頃からそんな習慣が付き始めたらしく、今になっても稼いだお金はほとんど全て、食べ物にいきます。もちろん食べ切れない量なのに、買い込んでは食べて残しての繰り返しでした。常に何か食べていないと不安でしょうがないのです。所謂過食症だと思います。私の場合は全く吐けません。胃がはち切れそうになって気分が最悪になって始めて食べ物を残して私の飲食が終わります。その状態になっていない限り、私は満腹なのにも関わらずコンビニで食べ物を買い漁り箸を付けてしまいます。今でも治りません。金銭感覚は身に付いていなかったので本当にほとんどのお金を食べ物に費やしてしまいます。

私のお金の使い方についてですが、社会人になってからはもう一つ有ります。
お酒です。それも、自宅で晩酌ではなく、バーに通って一杯¥800以上のお酒を飲み続けるのです。ですが私にとって一杯¥800以上もするお酒は必要なもので、酔わなくてもバーテンダーさんとお話している間は本当に心が安らぐものでした。頃合を見て、帰路についてはコンビニに寄ってしまうのです。
バーに通う頻度は頻繁といっていい程の頻度でした。何も無い限り、毎晩。
私がどのくらい稼いでいるのかというと、大好きな職場は1日6時間の仕事時間で雇われたもので、その他はたっぷり睡眠をとる生活、で、月12万円程。それも日払いです。
お金が果てて親に家賃を払ってもらう事もあります。
とにかく仕事が終わったら飲みに行ってしまう。
そういう生活でしたから、県外から来た身にも関わらず私には(飲み)友だちがたくさんできました。プライベートもその人たち、たまに辞めた専門学校の友だち、それ以外にもなんだか上手に輪を広げていきました。
困った事は、最近。楽しかった友だちとの飲み会での集まりや遊びも、お店で友だちにばったり会ってしまうのも、そもそもバーでバーテンダーさんとお話をするのですら、もう嫌になってしまったのです。
それに加えて彼氏と夜にいっしょに寝るのも触られるのも嫌、大好きな大好きな職場も嫌、尊敬している先輩方も嫌、今まで通りは暴飲暴食と過眠だけ。

こんな事を相談できる相手が一年以上前まではたった一人いました。
私の直属の上司だった人です。その人は私が人として、仕事姿を見て一目惚れした人でした。その人の下で働くようになってからも、その人は私にとって本当にかけがえのない大切な人でした。
私とその人は性別以外の人間性がそっくりでした。性格や生い立ち(その人は三兄弟の長男でうち一人弟が身体障害持ち)、なんといってもやりたい仕事=今やっている仕事が同じでした。老夫婦が営んでいるお店を任されているのが彼でしたから、私が一目惚れして仕事をやりたいと思った気持ちも大事にしてくれて、私が彼と仕事をずっと一生いっしょにしたいと泣きながら訴えた気持ちも本当に大事にしてくれました。よく仲良く飲みにも出掛けましたし、よく子どもみたいな喧嘩もしました。10年も先輩で尊敬している人なのに、まるでそっくりで、気に食わない事があれば私も食いかかるし、彼も譲りませんでした。
私が気持ちを言葉にするのが苦手で、何か伝えたい事があっても泣いてしまった時、彼だけがずっと私の言葉が出るのをひたすら待ち続けてくれました。
どうして彼だけが私の為にそんなにしてくれたのかというと、彼も自分の本当の気持ちを人に伝える事が困難な人だったからだと思います。彼には表と裏があって、裏は誰にも見せた事がない。
彼のそんなところを見て、私の大人や先輩といった立場の人間に対する見方が少し変わりました。彼の事は本当に尊敬していて、唯一私がこの世で信頼している人でした。
私以外の人も、彼の事を本当によく認めていて、彼はよく引き抜きされそうになったそうです。何度もいろんな人にいっしょに店を出さないか、先輩に東京で店を出す友人を手伝ってくれないか、などと。
そんな話を彼が私に打ち明けてくれたのは約一年前でした。飲みの席で、少し真面目な話をしていた時の事でした。
今までいろんな人に誘われたけど全て断ったのだ、と。何故ならもし仮に独立するとして、自分が自分以外の人間と働くという事が考えられない。他の人間は煩わしいだけなのだ、と。
私は心底驚きました。私は彼がいつ引き抜きされて、私を置いていってしまうかとビクビクしていたからです。
続けて彼が私に「俺がこれから先もずっといっしょに仕事をしていたいと思うのはお前一人だけだ」と告げました。涙が止まらなかったのを覚えています。やっぱり彼は私と同じところを見ていて、同じ場所に立っていたんだなと実感しました。そして必要としてくれた事に、感謝しました。
誰も信頼できない世の中でたった一人信頼していた人から貰った、信頼の言葉に本当に感動しました。

その日はお互いに飲み過ぎて、話し過ぎて、その次の日、私は休日でしたが彼は欠勤しました。彼が休んで一日店が回らないという事もないし、彼が人一倍仕事熱心なのを誰もが知っていたので、風邪という欠勤文句を、私以外信じていました。私は飲み過ぎて出勤時間ギリギリに欠勤電話を入れる彼を傍で見ていたので、酔いのせいもあり、まあいいか、と。でも私はその日その場で彼から離れるべきではありませんでした。
彼はその翌日も出勤して来なかったんです。私が出勤して雇い主の奥さんに尋ねると、「昨日風邪って連絡があったし、この時期は毎年インフルエンザにかかって一週間休む事が恒例だったから、きっとそれね」と答えられました。
そんなはずない、と私は顔面蒼白になりました。「毎年一日連絡を入れると一週間連絡無しで休むんですか」と尋ねると、「一日ごとに連絡が来ないのは始めて」と言われ、私は慌てて電話をしました。すると出たのは本人ではなく、でも聞き覚えのある声で、話すと私も彼もよく飲みに行く店の従業員でした。私と別れた後に飲みに行ったそうで、携帯電話を忘れて行ったのだと。私は仕事を終えてから急いで携帯電話を回収しに行きました。次の日雇い主から、私が回収した彼の電話に「まだ具合悪いかな?出勤出来ないようなら連絡下さい」とメールが入りました。雇い主の旦那さんは昔ながらの人で、10年程勤務した彼もさすがに信用問題に関わるのではと思い、私は一度も訪ねた事の無い彼の家を訪ねましたが、自宅には人の気配がありませんでした。私はもう彼が失踪してしまったと気付き、急いで向かった先は彼の奥さんの職場でした。初めて訪ねました。彼の奥さんはほんのたまにお店に来ていたので、顔と名前は分かります。奥さんは外出中だったので連絡先を置いて連絡を待ちました。その日も私はお休みだったので、一応職場に顔を出してやはり彼が出勤していないのを確認した所で奥さんから連絡があり、奥さんの話だと家にも帰っていないとの事でした。彼は奥さんと全く昼夜逆転の生活をしている上に、私と飲んで翌日欠勤したその日に奥さんと大喧嘩をしたらしく、奥さんも帰ってはいないが出勤はしているものと思い込んでいたそうです。
彼も、私と同じストレス体質で、どこにもはけ口がなかった事。私とお給料が大して変わらなかった事。その事で信頼している奥さんと上手くいっていなかった事。想像したら心が痛みました。
彼が失踪している間、私は実家に帰省しようと一週間の休みを貰っていましたがそれどころではなく彼が空けた穴を私なりに埋めてお店を守ったつもりでした。彼を可愛がっている先輩方や同行者の方にその行動を取ったことで彼と私はできている、不倫している、彼を匿っているのは私だ、奥さんが可哀想、などと陰で散々言われました。
お店を自分なりに守りながら涙が出てきて、こんな時に悲しみをぶつけていた相手、と思い出したら、失踪中の彼でした。もう彼を待つ以外何も出来ませんでした。
長らく待ち続けて彼は帰って来ましたが、私に飲みの席であんな言葉を残したまま彼は職場を去りました。
職を新たにして、彼は待ち続けた奥さんと暮らし、今年子どもが生まれるそうです。
私は彼がどんな辞め方をしても尊敬して信頼している唯一の人であることに代わりはないので、彼が職を新たにした後「何かあったら遠慮なく頼ってくれていい」という言葉を有難く思っていましたが、彼に新しく大事な家族が増える以上、もう頼れないです。
言い方を良くすれば私と同じ職に稼げはしなくてもずっと憧れていた彼ですが、言い方を悪くすればそこから解放されて普通の夫として稼いで父として子どもを可愛がるという幸せを手に入れるのですから。
置いていかれた立場の気持ちも打ち明けた時もどうにも出来なかったでしょうし、一人で10年以上大好きな仕事でストレスを溜めていた彼にたった数年でストレスが溜まってしまったなんて弱音は吐けないです。

もう私は彼が残して行った場所に立ち竦んでいるだけで、しかも昨日と、今日に至っては無断欠勤してしまって、彼の期待にも答えられず今度は私が彼を裏切ろうとしています。
こんな人生から解放されたいです。
名前のない小瓶
67919通目の宛名のないメール
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※誹謗中傷や否定批判のお返事は流れません。

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お返事が届いています
ななしさん
むつきです
とても、辛い過去だったのですね。今までお疲れ様です。そんな辛かったのに必死で耐え続けたのでしょう?私だったらきっと無理だと思います。そんなときは、休憩するといいでしょう。体もですが、「心」を休めるのです。もし、本当に辛いのなら心理カウンセラーなどに相談するといいと思いますよ。きっと貴方の力になってくださいますよ。好きな曲を聴いたり、テレビを見たり、、、なんなら一日中寝てもいいと思います。私は貴方の味方です。私が保証します。本当に辛いなら頑張らなくてもいい。貴方は今まで本当によく頑張ってきています。お疲れ様です
ななしさん
読ませて貰いました
こうやって反省を振り返りながら、心の膿を出すのは大変だったでしょう、
あとは少しのオロナインが貴方にある事を願っています
責任感が強くて抱え込みすぎている印象があるなと思いました。彼の期待に応えられないからってイコール彼を裏切ることにはならないと思います。どんなに似ていたってあなたはあなただし、耐えればいいと思って弱音を吐かないで倒れていたら本末転倒ですよね。

でも、結婚して子供が生まれる異性の先輩だと確かに頼りづらいですね。彼氏や周りの人が頼れないなら、セラピストに会ってみるのはいかがですか?相性にもよるとは思いますが、弱音を聞くのがこの人の仕事なんだって思ったら案外話せるんじゃないかと思いまして。

あなたは今まで一人でずっと頑張ってきているから、すごくて強くて偉いです。自分を責めすぎないでください。あなたは悪くない。誇りを持って。頑張りすぎて疲れただけだから。ゆっくり休んで大丈夫だよ。お大事にね。
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