自分が自分を愛せないのに他人から愛されたいって可笑しな話ですよね。
誰よりも「私」を知ってる私が「私」を愛してない。じゃあそれを他人がどう愛せと?
たとえ他人から好意を向けられても上手に受け取れないのに。嬉しいのに上手く喜びを相手に伝えられないというか。仲良くしようとしてくれてるのに、上手く答えられなくて。
それが続いて、気づいたら誰とも信頼関係を築けてなかった。
親しい友人も恋人もこれから先できないんだろうなと思ったら時々凄く悲しく寂しくなる。
『君は焦りすぎだよ。たとえば君の寿命が80年だとして、まだ1/4も生きていないじゃないか、人生全部使ってゆっくり幸せになればいいんだよ。』
そう言われた時、救われた気がしたのに、また私は焦ってるのかな。
幸せになるためには頑張らなきゃいけないじゃん。
努力しないで自然と幸せになれるわけないじゃん。
そんなのわかってるけど、頑張るのも、努力するのもちょっと疲れちゃった。
疲れたって言ったら、休めば?って誰かが声をかけてくれるかもしれない。
そういう人も信用できない自分が好きになれない。ほんとに心配してるわけじゃないでしょうって。自己肯定できてないから、他人の言葉が嘘に聞こえるのかな。
人を信用できない自分が他人から見て信用に値すると思ってもらえないこともわかってる。
わかってるのに人のことを信用できない。わかってるのになんでかできないんだよ。
疲れたけど、休んだらもう立ち上がれない気がする。
最近、今晩寝たら目が覚めなきゃいいのに、と思ってしまう。
お返事をくださった皆様へ
お返事をくださってありがとうございます。
少し遅くなりますが、お返事を書こうと思っております。
自分の思っていたこと、現実では誰にも言い出せなかったことに言葉が返ってくることに、ただただありがたい気持ちで一杯です。
うまく言葉に表せないですが、こんなに温かい言葉をくださったことが嬉しかったのか、心が落ち着いたのか、気づいたら泣いていました。
気分が憂鬱で、ふとここを思い出して、気持ちを吐き出して、小瓶を流すだけで気持ちが少し落ち着いたと思っていました。でも、もしかして自分は誰かから言葉がもらいたかっただけなのかもしれません。
お返事をくださって、本当にありがとうございます。
信頼関係なんてのはザラに作れるもんじゃない。仲良くしているような、あの人やこの人だって信頼関係までは到達していない事だってザラにあるさ。
秘密を共有とか、そんなんで信頼関係なんてのも困る。要は一対一の関わりの中でお互いに生み出せた何かがあるかによって(心)信頼関係は培われていくんじゃないのか。
ちなみに自分は、友人が疲れたと言っていたら休めとしか言えない。友人が、どんな言葉を言ってほしいのか分からないしな。相手の事気にしすぎていたら自分が疲れるしな。何をどうしてほしいのか、またそれは独りよがりではなく、あなたも他人に変えてもらおう精神じゃなくて、お互いに疲れない距離感でいられるようにすれば良いんじゃないのか?近すぎてもそれが良いのかは分からないし離れすぎも良いのか分からない。なら疲れない距離感でいられようにすれば良いだけじゃないか?
辛いのね。ジレンマというかそんな感じかな。好意を向けられて素直になれる人ってのは人から愛してもらっていて、受けとる事自体を当たり前だと、ずっとそうしてきたように思っている人なのかなと私は思います。
あなたの気持ちは小瓶で素直に書かれているのでよく分かりますが、普段はあなたは人に気持ちをあまり伝えない人なのかなと思いまして、その場合あなたの周りにいる人達はあなたへの接し方が分からない状態になっているかもしれません。あなたがただ気付いていないだけで、実は周囲の人は迷っている事もあるかと思いました。そして他人の言う言葉というのは半分半分であり、本気と冗談が、半分ずっこだと思います。あなたがきちんと人に伝えようとしない限り、他の人には伝わりません。態度や言動で察してちゃんなどは面倒がられるので難しいですね。コミュニケーションというのは自分からも行かないと中々仲良くは、なれません。関係を維持する事がまた難しいのでただ会話さえしていれば仲良くなれたってわけでもないのです。深く考えすぎるのは真面目だから。気楽にどうにでもなれって思っていた方が上手くいく事もあるのです。