一人になるのはそんなに怖いことじゃない。
人といること=孤独じゃない、なんてこともないのでは。
自分も家庭事情から人が信じられなくて、小中高って一人の時間選んできたけどスゴく楽だった。
信じられないクラスメイトや一緒にいたくもない人達に、笑顔振り撒く理由が分からなかったっていうのもあるけど。
大学で自分を信じてくれる親友が2人できた。
信じてくれて、叱ってくれて、泣いてくれて、幸せを願ってくれたから私も信じることができた。
社会人になってからも大親友でいられてる。
友情も恋愛も、本物は自然と出会えるもので、
無理して繋ぎ止めたり取り繕うものじゃないように思う。
時に一人の時間は自分を強くしてくれるし、本物の出会いに導いてくれる…かもしれないし。
人間関係も可能な限り断捨離した方が、人生身軽で気軽ですよ。
信頼とはなんなのか。
まずそれを考えたり作ったり付け足したりするためにも、自分のことを好きでなくてもいいから信頼してみるのはどうだろうか。
だから、あなたは一人ではなく、自分というわけもわからない他者とともに生きているということにするのはどうか。
・・・あんまりピンとこなかったらしなくていいからね(笑)
偽りの自分がいる。そうではないんだ、それは本当の自分じゃないんだ、という自分がいる。
じゃあ、一体なにが本当の自分だというのか。一体だれがそれを本当の自分だと知っているのか。
今まで疑問にも思わなかった、自覚もなかったかもしれないけど、本当のところあなたにはとても信頼のある、自分がいるんじゃないか。
しかし、それが上手くいかなくなっていると感じているのだろうか。
それもそのはずで、実はあなたではない自分はちょうど、あなたの自覚のない一方的な信頼に少し疲れてきた頃だったりするかもしれない。
自分ばかりが出るのではなく、あなたに少し、顔を出して欲しい思いもあるかもしれない。
よその他人に対してその「あなた」を出せないのなら、自分に対しては日頃出してあげられない、傷つきやすいあなたを出してあげるといい。
なにも難しいことではなくて、ただ今まで通りでいい。悲しい時には悲しいし、怒る時には怒るし、楽しい時には喜ぶ。それをわかっていてあげることだ。
上から目線な書き方で失礼。悪いとは思っているけれど、こうでもしないと出てこない自分が私の中にはいるので。
偽りだと思っていたとしても、本当だとか嘘だとかではなく、それは紛れもなく自分から出たものでしかないのです。
私も人が信頼できない口でして、私ではない自分に人を信頼することを肩代わりしてもらっています。
そうすることで、少しは自分も誰かを信頼できている、できるんじゃないか、と思えてきています。あるいは、無理にしなくてもいいとさえ。
なにが言いたいかっていうと、そういうやり方もあるよってことでして、ご参考までになれれば。と思った次第です。