「死ね」って言葉の凄まじさを今さら感じる。
禍根を残すと言うのでしょうか、
高校時代に些細な事で仲違いしたクラスメイトの友達から、その仲違いした本人以上に敵視され「お前なんか嫌いだ、死ね」と言った言葉や態度をひしひしと感じた。
仲違いしたクラスメイトから私の事を聞いたのだろうが、最初は少し大袈裟にも見える正義感が膨らんで友達に味方しているだけだと思った。
けど、そのクラスメイトと仲直りしてもその問題の人の一向にあからさまな態度は続いた。
中高一貫で女子校、彼女が少しわがままな性格で当たりがキツい人なのは何となく知っていたし当時高2、
やめてほしいとか必要以上に刺激すると激昂して更に面倒なことになりそうだったし「飽きればじきにやめるだろう」って思ってた。
クラスで発表事や行事で人前に出ると聞こえるように「うざい」「死ね」と言われても聞こえないふりして無視した。
下駄箱で鉢合わせた際は不機嫌全開で思いっきり力任せに大きな音を立てる。
とにかく「あんたの事嫌い」をあの手この手でアピールする。
こんなにあからさまに態度に出すような面倒な人、そのうちまわりからも人がいなくなるだろうって考えてたけど、立ち回りが上手いのか表面上だけでもそう見えたのか分からないけど常に友達の輪にいたように見えた
疲れたけど卒業まで無視した。卒業式のあとクラス会があったが運悪く彼女の席の近くになってしまったが、その際の周囲に「うえぇ〜さいっあく!!」と大声で騒いでずっと鬼の顔で睨みつけてくる。
これも無視したけど、最近人づてに彼女が教師になったと聞いた。
それを機にしばらく無理矢理蓋をしてきた記憶が湧いてきて自分でもよく分からないけど色々なネガティブな記憶が思い起こされる。
ろくに会話もした事ない人に「死ね」と大声で言われるような事を私が気づかないうちにしたのだろうか、
その場合でも卒業まで執拗に幼稚で陰湿な態度を取られ続ける理由になったのだろうか。
さらに厄介な事になると当時は思っていたし放っておこうと判断した自分にも非があったかもしれない。
高2の夏までその人は1年外国に留学していたのも
関係してか「帰国してからかなりハッキリ物言うようになったよね」とクラスメイトが話してるのを耳にしたこともある。理由になるんだろうか。
無理矢理何年も閉じ込めておいた理不尽な気持ちや、不快感を示さないで無視に徹底したから相手がつけあがる要因を作った自分の落ち度、
気に入らない事や人に徹底的に攻撃的な態度をとる幼稚な人が教師かぁ…
分からないです。卒業後に色々経験を重ねたり学んでいく中で考えや物の見方も変わるだろうし。
でも人の本質ってそう変わらないのでは?
別に教師が聖人君子や模範的な大人とも思わないけど、平気で死ねとか口にする人が何を教える立場になるんだろう。
自分の穿った見方も嫌い。
多分、誰かを嫌ってる人って相手も同じような気持ちでいると思う。
一生懸命「あんたの事嫌い!」をあの手この手で表現しなくても同じこと思ってる。
自分でもよく分からないけど「もう会う事ない人だしあとは時間が少しずつ傷を癒してくれるだろう」くらいに構えていた方がいいのかも。
長文乱文失礼しました。
自分のぐちゃぐちゃな気持ちを整理するためにもこの場を借りて文字にしました。
良い気持ちの内容ではないので嫌な気持ちになった方いらっしゃいましたらすみません。
分かりづらい長文読んでいただきありがとうございました。
私のことをいじめていた人も教師です。あくまで、子どもの頃の話で過去。
「卒業後に色々経験を重ねたり学んでいく中で考えや物の見方も変わるだろうし」
まずはこの可能性を願うしかないと思っています。
教師の中にはいじめの加害者経験がない方も多いでしょうし。
一部の幼稚な教師は反面教師になると願います。
子どもたちへ、教師が教師か反面教師かちゃんと見てくれよ。間違えても“自分が全部悪い”とは考えないでくれ。
私もいい教師にも会いましたよ。パッと10人も思い浮かばないけれど、いました。
お手紙とはいえ宛メもSNSとしての一面があって、教師もいじめ経験者というネガティブな情報が広がりすぎないようにするための対策はここまで。
ふとした時に、悲しい感情付きで思い出しちゃいますよね。
私は思い出したら、小瓶を拾うことにしています。
私の憎しみや悲しい経験は、岸の向こう側の人と共感するために使おうと思っている。
その他、思い出したら。
・“あれ、もしかして便秘だからかな?寝不足かな?”と自分の体調を確認。
・この感情、当たり前だ。この感情になって当たり前だね。よしよし。とセルフケア。
・嫌い、憎む時間より好きな事に時間を使おう。
最後に。小瓶主さんに時薬が効きますように。