LINEスタンプ 宛メとは?

絵が上手くなりたいとか下手だから頑張りたいとかすら満足に発言することのできない某SNS。私は、とある旬ジャンルで漫画メインに二次創作をしています

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はじめてこの小瓶を利用します。

私は、とある旬ジャンルで漫画メインに二次創作をしています。
最近はありがたいことにたくさんの方に見てもらう機会も増え、絵を描くこと、私の描く二次創作が誰かの楽しみの一つになれていることに嬉しいと感じる機会が増えました。

しかし、そういった嬉しいことの反面、心苦しく感じることも増えていきました。
何が心苦しいか。
それは、自分の絵や漫画のネタ、構成に対し、見合わない高評価を得る機会が増えてしまったことです。

私は自分の絵や漫画のネタ、構成に対し何一つ自信を持てていません。
それは、自分が某SNSで二次創作を投稿するようになってからずっと変わらない事実です。
弱音を吐いたり、他の方の二次創作を見てこんな風に描けたらと羨ましく思ったり、自分の絵が好きになれないことにがっかりしたり。
それでも負けずに頑張ってこれたのは、絵を描くことが生き甲斐であり、そんな自分の作品を楽しみにしてくださっている方のおかげでもありました。

しかし、垢が大きくなりすぎてしまったことで、何をするにも何を呟くのにも影響力が生まれるようになってしまい、大変肩身が狭い思いをしています。
私は前みたいに独り言として弱音を吐いたり、絵が上手くなりたいと言ったりしたいのです。

以前はそれでも気にせずに発言したりあーだこーだ言っていたのですが、
先日三年くらい懇意にしてる相互さんに、「そういった発言は控えたほうがいい」と言われてしまいました。
「その気持ちはよくわかるけど、言い方が悪いけどあなたより絵が下手な人に反感を買われてしまうから良くない」と。
それを聞いた時、確かになと納得しつつ、無性に悲しく、辛くなってしまいました。
私は私が描きたいものを描いて投稿しています。
それと同じで言いたいことを言いたいのです。
ただそれだけなのに、何が悲しくて周りの反応を気にして、自分が今発しようとしてる言葉は大丈夫かどうかを考えなければならないのでしょうか。

これは見る人によってはとても贅沢な悩みなのかもしれません。
自慢に見えてしまうかもしれません。
投稿することをやめればそれで済む話なのかもしれません。
ですが、これを失うと私は人生に楽しみを見出すことができません。
投稿して、楽しみにしている方々の元に届けるまでが私の「絵を描く」という趣味の範疇なのです。

評価の数を他人と比較して苦しむということから解放されたばかりなのに、
今度はその評価自体に発言の自由を奪われ苦しめられ、絵を描き投稿することも、絵描きとして活動することも簡単なことのようで茨の道のような険しさを感じました…

乱文失礼しました。
これは私の溜めに溜めた吐露です。
評価の数で苦しみ、それから解放された先でもそんな苦しみがあるんだと実感したしがない絵描きの独り言です。

こういった匿名の場でしか発することのできない弱い私をどうかお許しください。
名前のない小瓶
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ななしさん
こんにちは。
私も、絵を描くことが生きている証であると日々感じる、しがない絵描きの一人です。

絵だけでなく発言についても、ある意味評価されるのは大変ですね。

万人に受け入れられると思われるであろう発言しかしてはいけない、と言われたのも、窮屈だったのかなとお察しします。

匿名の発言は弱いなんてことはないと思いますが…どうでしょう。

私にとっては、匿名であることは大切なことで、
匿名の発言は、自分の周りにぶら下がった様々な『自分』をはがせて、素の自分の気持ちに気付ける機会だと思っています。

なので、匿名でたまには発言するのもいいと思いますよ(^^)
同じ想いの人もたくさんいらっしゃるでしょうから、あなたの発言を読んで、“私だけじゃないんだ”と他の誰かの心を温かくできるかもしれません。

また、策の一つになるかどうか分かりませんが、絵がうまくなりたいという向上心を、描いた絵を添えて誰かに話したいのなら、

絵にあまり精通していない、または絵に興味のない、割と仲の良い身内にしてみるのはいかがでしょうか。きっと、もう十分に上手いのにと、笑ってくれると思うのですが…。


もしくは、これからずっと自由に発言したいなら、

誰かを傷つけるつもりはないけど、もっと上手くなりたい気持ちを諦めたくない姿を、誰かに見てもらい支えていてもらいたいから、その旨を発言したいのだと、

「うまくなりたいなぁ」の奥にひそむあなたの気持ちも含めて丁寧に自由に発言してみるのもいいかもしれません。

すごく謙虚でいらっしゃるので、自分のものを卑下してしまいがちなのかもしれませんが、自信をもって描くことで作品はまた違ったものになってくると思いますから、ぜひ自分の作品を、愛し、下手だと言わず、下手に感じるのならそこを分析して、満足を得てほしいものです。

だめだという思いより、上手くなりたいという思いの方が、発言として魅力的かもしれませんしね。


有名な画家さんや、漫画家さん達も、自分の絵に満足されたことは一度もないそうですから。

いつも、今よりもっと上手くなりたい、それはどんな絵描きさんでも思う事と存じます。
本気で絵に向き合う人ならではの熱い思いですよね。本当に素敵なことだと思います。

がんばってくださいね。

きっと、このお悩みも、味のある作品につながっていく糧になることと思います。
あなたのような素敵な絵描きさん、これからも応援しています。
(なかなかの長文かつ乱文なので、もし全て読まれるのであれば、気力やお時間のある時に、余裕を持って読んで頂けると幸いです)

弱音を吐いても良いんじゃないか?

俺は、上手い絵師さんでも四苦八苦してんだなとか、俺も頑張りてぇなとか、色々思ったりもするし。

まあ、強いて言うなら、言葉の表現というか、出し方よな。

ただ一言「自分は下手だわ、こんなんじゃダメだわ」と書いて、出してしまうと、今まで自分の…というか、小瓶主さんご自身の作品を見て、それを好きになってフォローなりなんなりと、付いてきてくれた人が、なんやかんや思ってしまうかもしれないし…
絵師さんの中でも、小瓶主さんの絵を上手いと感じる人は、ネガティブな感情を抱いてしまう可能性も思い付く。

だったら、…一応言っとくと、絵とかデザインを商売にしてる人には絶対にオススメ出来ないが、「何が出来ていないと感じ、どこをどうすれば、もっと、少しでも上手くなれそうなのか」を弱音としてぼやけば良いんじゃないかね。

単なる弱音として終わらず、次にどうすれば良さそうなのかを考えれば、次に繋げる事も出来るし、そこまでをワンセットに表せば、単なるネガティブな発言だけとして終わらない。
(他、反感を買う可能性が低くなるような、『「何へ」どう思っている』とか、主語などを抜かない言葉の表現も大事)

自分自身の目的の確立や、それを見た人のモチベーションアップにも繋がるし、小瓶主さんがどんな所に気を付けて絵を描いているのか、見る人にも伝わる。
なので、ノウハウ、改善策、向上策などが伝わる可能性がある。

(※逆を言えば、そこからどう意識して描けば、そういった絵を描けるのかの可能性が、延いて見て取れるので、そういうのが嫌だって人にはオススメできないし、絵を商売にしてる人には致命的かつグレーな問題に発展しかねないので、前述した)

とにかく、一例として今あげてみたが、別にこういったやり方じゃなくても良いだろうし。

今までのやり方を続けるのか、変えるのか、変えながらも通すのか、通さないのか。
色々目標というのか、着地点というのかね、そこが見えれば、考えられる事はあるだろう。

何をしたくて、何が嫌で。
何を避けたいのか、何に優先度があり、どれが高いのか。どれを現在、高いものとして行動するのか。

影響力が大きくなるという事はあると思うが、絵だって言葉だって、自分が使っている以上は変わらん。
自分が出来る事や、したい事に合わせて、成長していければ良いのではないか。

評価は確かに指標になるし、目的の目安にもなりやすい。モチベーションにも繋がりやすい。

だが、指標でしかないので、目的そのものにしてしまえば自分自身が揺らぐ事になるし、モチベーションが上がり下がりする分、疲れやすく、それに慣れない人は絵を描く事を辞めてしまいやすくもある。

だから、長く続ける為には、「自分自身」が大切だったりもする。
その視点から話をすると、評価っつったって、細かく見れば、ただの人間関係の、その一部よ。

人の意見を聞く事も含め、自分がどうしたいのか、ある程度でも理解しておく事だ。
じゃないと、自分の絵は描けんし、筆も迷う。

まあ、もし人生を絵に例えるとするなら、その筆の迷いの表れをも含めたものが、人生だとは思うが。

…話は戻って、言うまでもない事だろうが、倫理観を含めた自分自身を、守りながら絵を描こうな。
(自分がないと絵が描けない)

色んな価値観を持ち、様々な視点を持つ人間が、SNSを利用している。
俗に言う炎上なんて、どこで起きてもおかしくはない。

絵を描く人も、描かない人もいる。
どのような人間が、どのような価値観、視点、思考を持って、何故の評価をしたなんて事は細かに解らない。
評価の価値、重さ、認識という考え方、それらは、重なる所があるとしても、人それぞれ異なる。

評価の多さや、人目に付く数から、感覚は狂いがちだと思うし、それらによる影響もある事だろうが、基本は、絵を描き、発信する己、評価を受け取る己の内にある。
だから、自分自身の事は大事だ。

評価なんて、感情の上がり下がりはあれども、大したものじゃない。

「どこを大したもの」として見るのは自分自身だから。人それぞれだからだ。
(だからこそ足場のぐらつきというか、「ご自身の立場にそぐわない高評価が来る」という認識にも繋がったりと、ややこしくなるものかとも思うが)

だから、炎上もそうだ、評価の良し悪しもそうだ、「そういった発言は控えたほうがいい」と伝えられた時や、「言いたいことを言いたい」という思いの中、何を問題として見ているのかもそうだ。

一人一人の感覚、認識や考えから発せられたもの。
何を大きなものとして、認識するかが異なるので、それ故に、言葉の価値や重みは変わる。
(そこが伝わらなかったりで、解らなければ、言葉や示されるものから、その人が伝えたい事の本質…、何を思って、何を価値、比重とし、表したのか見えてきにくい)

だが、シンプルだ。
評価というのは、人間関係だという事に変わりがない。

立場がどうだろうが、人目の多さがどうだろうが、人間関係とは、相互に影響のあるものだ。
それが、数の多さからか、立場の変化からか、明るみへと、見えてきたという事なのではないかと思う。

自分への理解。
したい事があるならすれば良い。
だが、そうだろう。見えるものへの不安というやつは、付いて回るものだ。

その、したい事をする上で、見えてくる不安については、どうしたい?

広義の意味で、周りの反応を気にしているのは…、絵を描いている時、どうだ?
少なからず、見た人、読んだ人が、「楽しんでくれるかもしれない」という期待はないだろうか。

そういった事などを含めて、「描きたい」という事ではないかと思い、俺は話を進めてきた。
その「描きたい」気持ちと、「自分が発するこの言葉は大丈夫なのかと考える事」は、方向性の違いあっても、根本が同じ事だと、俺は思っている。

自分が出したいかどうか、これで描き終わりなのか、大丈夫なのかどうか、少なからず考えはしないか?
今まで何となく行ってきたかもしれないそれが、価値観や重み、視点が変わって、表面化したのではないか、と。

表現の自由というものは確かにあるのだがな。
ただし、同じ表現するものだとしても、「絵」と「言葉」には違いがある。

情報量だ。
たった一言「面白い」と発しただけでも、人によっては不快に思ったり、大小の共感を覚える人も、無関心な人もいる。
そこには、現実における、対面コミュニケーションによくあるような…、絵で言えば「表情」「色」がない。

また、「音」「身振り」「リアルタイムなフォロー「人を知る事による、情報共有からの補正」が存在しない。

だから、「何が」という主語や、目的が、たった一言抜けるだけでも、情報の伝わり方が違ってくる。
その上、ある種リアルタイムではなく、一方的な投げ渡しになるので、言葉のみの情報だと、解釈が大きく、その時点の受け手に委ねられるからだ。

…自分自身の運に、余程の自信がないのであれば、言葉のみのコミュニケーションに置いて、最低限でも、目についた場所だけでも、伝えたい事を表すため、表現には気をつけた方がいいと俺は思っているよ。

小瓶主さんが気を付けていないとは思わないが、言いたい事を倫理観抜きに言ったとして、そこは様々な人が目に触れるSNS、公共の場だ。
諍いやら問題やらもある。好き勝手出来る場所でもないという事はご存知だろう。(自分の発言へ責任が付いて回る上での、自由の場)

ただし、人の違いから、どんなに気を付けていても、気を付けていなくても、起きやすさの違いはあるかもしれないが、殆ど問題は起きる。
(また、人が多ければ多いほど、可能性として起きやすくもなる)

嫌な事があって、怒りから当たり散らしたい人が出てくる事もよくあるだろう。
言葉の解釈の違いから、すれ違う事、そこから諍いになってしまう事もよくある。

まあ、そこに何を思い、どうするのかは人それぞれだ。

とにかく、絵を描く時はあくまでも自分自身への比重を重視する事になるのだろうが、公共の場、人と関わりのある場へと自分の表現を発信する時は、己が身だけの事ではなくなる。
どう行動したいにせよ、それは考慮しておいて欲しい。

だから、そこを理解した上で、自分の比重をどう混ぜていけるのか、出来ないのか、試し試し成長していければいいと思う。

…因みに、小瓶主さんと比較したいという話ではないが、そういう点、天皇陛下って詳しく知るとすげーよ…。
「自分」の比重が許されない立場なんだってよ。

極端に言って真似は出来ないが、それを軽くした「自分の比重を薄める」ってのも時に、人と関わる時の、ある状況の中、また一つの参考にはなると思ってそういう話をしてみた訳だな。

ああ、そうそう。
心が強い弱い、なんて考え方してるなら、そこに執着というかな、こだわるのはやめとけ。
それは結局の所、現時点で見た「評価」でしかない。(と書いているのも俺の評価なのだが)

大事なのは、強いか弱いかという評価じゃなくて、自分の心の得手不得手、強い弱い、良い悪い、好き嫌い…、「そう感じる所をどうしたいのか」だと思う。

立ち向かう、逃げる、休む、何でもいい。
それがストレス発散の方法やら、心の支えやら、立ち上がる力、立っている力に繋がっているものじゃないか?

そうやって出来上がったものが、自分自身の強みに繋がってくるんだろう。
絵だって、同じじゃないかね。

長ったらしくなったが、単純に言うとな。
絵でも言葉でも、それを扱う俺たち人間の認識が、変化している中の、その一瞬を写真のように切り取って、切り出している。
その光景への美醜感はあっても、そこに取り残されて、立ちすくんでしまうのは、もったいないと思わないか。

…もったいないかと思ったかは知らんよ。
けれど、何かしたいと思ったから、この小瓶を流したのではないかと感じたのだ。
良いんじゃないの、悩んだって。
悩めば人はもっと成長出来る。
なんで漫画家になるのか。周りに認められたいから?違う。
自分が描きたかったからですよね。

なら、誰になんと言われようと自分の満足できない作品は駄作。
逆もまた然り。
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