集団の中で行動するのが
向いてない人間もいるのではないかと。
社会は集団生活で生きることを前提に
学校でも何でも、集団に溶け込むことを強要する。
私のように人の集まりになんとか入ろうとすれど
孤立だったり、うまくいかなかったり
息苦しさを感じる人間もいる
それでも、集団の中で生きていけなくてはダメだと烙印を押される。
そもそも集団に入らないという選択肢がないなんおかしい
もうこんなにどこにも属せないし、すぐ弾かれる私は何。
私の居場所はどこ
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ななしさん
必要無いなら1人でいればいいんじゃないですか?
弾かれたり、どこにも属せない、というのは主さんに合うようなグループでは無いってだけでは?
たまに、え?なんでこの人ここのグループにいるの?って思われちゃうような人いますが、それはノリが違ったり、雰囲気が違ったり、後はやはり感覚的に合わないんですよ。
そうですね私もアイデンティティを確認したり自己の世界なんてものは誰かと話していても創造性豊かに成長するとは考えていません。詩を読んだり、音楽に関わるとき誰かの感性を自分として関わったりしていないという所にもあるかと思いますが。強要されるのはあくまで利害性であり、友情や絆信頼といった部分は相互に作り上げられるもので強制されて出来上がるものではないですよね、それが社会性といった本来の人間のコミュニティの可能性ではないでしょうか。集団に限りなく個人で参加することは可能です。そこに居心地の良さがあれば、本当にあなたにとって個人でいることは限りなく幸福の居場所なんだと思います。
そうですね、集団生活……
学校や会社では嫌でも集団生活ですからね。
学校は集団生活の術を教えられる所、
会社は集団生活で生き抜く術を考える所だと私は考えています。
教えられる、考えて生きていくという違いはあるけれど共通して言えるのは複雑な人間関係の中で生きていかなければならないですものね。
学校も会社も含めて、社会はスポーツの世界で例えるなら、個人競技ではなく、団体競技のルールで運用されています。
一人の力が如何に周囲の人に影響を与え、好結果を齎すか。
そう、建前を言うならそんな感じ…。
でも、そうじゃないですよね!
どの世界にも、先生や監督や上司と呼ばれる組織を管理する人がいますよね。
"一人の力を最大限に引き出す人"
そう、個人努力も必要だけれど、それ以上に大切なのは管理する側の努力!!
あなたは仰っているじゃないですか。
"人の集まりになんとか入ろうとする"
あなたは個人努力を行なっています。
あなたは悪くないです。
悪いのは管理する側の人間。
組織で生きているとよく聞くのが、
2対6対2の法則。
集団の中で2割は生産性の高い優秀な人、6割は普通の人、2割は生産性の悪い人…
私が接してきた人の中には、2割は落ちこぼれという表現をする方もいました。
この法則に様々な解釈がありますし、本来の意味も理解しています。
でも、この法則の表現の仕方、おかしくないですか??!
人それぞれに良い部分もあるし、悪い部分もあると思うのですよね。
人をこのようにしか見れないから、
そのような価値観に辿り着くのではないでしょうか。
社会にそのような法則があるとすれば、
8対2の法則、
8割は普通の人、2割は違う視点から物事を見れる人
本来、優秀な人なんていない。
特定分野では優れている人はいても。
その人を2割の優秀な人と呼ぶとしたなら、
様々な人が混在する社会の中では、そんな法則を唱えるべきではない。
それに所謂、"優秀"だと呼ばれる方々が人を下に見た時点でその方こそが社会不適合者なのではと感じます。
色々な人がいて良いと思う。
集団に入りにくい性格だとしても、それが個性だと思います。
色々な人がいます、だからこそ、あなたを心底から受け入れる場所もあるから。
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