なんか笑うことに疲れてきた。
昔からずっと臆病だった。
泣き虫でもあった。
でも、ある時から
自分は強くならなきゃ行けないと思った。
この歳になると
なんでそう思ったかなんて覚えてないけど。
その時の状況だけは鮮明に覚えてる。
小さい頃の自分の泣いてる顔。
何故か客観視したように、
鏡でも見たんだろうか。
最近毎日が嫌になる。
仕事が上手くいかないことにじゃない。
人間関係もそこまで悪くない。
上手くいかないことに対して
上司がアドバイスをくれる。
それを「やってみます」「実践します」ということに疲れてきた。というか疲れた。
無意識ながらに自分を繕ってしまう。
この癖はこれから先も治らないんだろうか。
治したいと思っていないのかもしれない。
「ちょっと疲れたので時間をください」
そんな言葉さえ言う勇気もない。
それほどまでに自分は臆病だった。
こんなことを考えている人だとは思わせないくらいに自分を作るのが上手くなった。
いつからそうなったのかは覚えてない。
ある事柄についてみんなの前で話して欲しいと言われた時に、周囲の人達は「誰がやる?」と言って一向に発表者が決まらない。
そんな時に「じゃあ、やります」と言ってしまいがちだ。実際に挑戦したいという気持ちは少しだがある。
そんな時に仕事が立て込んだりすると
「なんで引き受けたんだろう」と思ってしまう
そんなことを考えてしまう
自分にも嫌気が差した。
発表する時は誰だって緊張する。
手が震えるほど
息が苦しくなるほどに緊張する。
でも、それを隠すのが自分は上手かった。
発表が終わると毎回「〇〇さんは凄いね、さすがだね」と言って貰える。
そういって褒められるは嬉しい。
でも、その言葉の先には必ず
「緊張しなかったの?」という言葉がついてまわる。何故かその言葉が嫌だった。
弱味を握られそうな感じがした。
だから決まって「そこまでですかね」と言ってしまう。あんなに緊張してたのに。
最近は「緊張しましたよ」と言えるようになった。1歩強くなれたと思った。
でも、「そんな感じには見えなかった」と言われるとこの人達は本当の私を見てくれないと思ってしまった。何故か悲しかった。
本当の自分を見てほしい。
そんなに強い人間じゃない
明るい人間じゃないことをわかってほしかった
でも、そんなことを言える勇気もない。
そんな自分に嫌気が差す。
話は変わるが私は「よく笑うね」と言われる。
昔から母の笑った顔が好きだった。
嫌なことがあっても
母の笑顔を見れば忘れられた。
今は遠く離れているから顔を合わせることは少なくなったけど。
そんな母の笑顔を見て
私も周りの人を同じ気持ちにさせたい。
そう思った時から笑うことを意識した。
遠い遠い昔の記憶。
私が笑うことで周囲も笑ってくれる。
それはとても嬉しかった。
でも、ふと我に返った時に思う。
「なんで笑ってるんだろう」
いつからか辛いことがあった時にも笑うようになってしまった。それが何故だか悲しかった。
長い文章になってしまったが
ここまで読んでくれてありがとう。
私はそれだけで嬉しいです。
たまには私から母に電話してみようかな。
#私と母の【鏡写し】