目の前にすごく大きな大きな、どこへ続くかもわからない海が広がっていて、
そこを自由に泳いで渡れ、といわれる。
あるものは得意の泳ぎで波と戯れ渡るし、あるものは小船を操り、
あるものはお金持ちが作ったもっと大きな大きな船に便乗し、
またあるものはサーフボードや手製のいかだで渡り始める。
仲間とともに、家族とともに渡る者もたくさんいる。
何を選んでいい。
あらゆる可能性がある、あらゆる希望があるよ、たどり着く先には素晴らしい大地が待っているから、
だから勇気を出して・・・と海は誘いかけてくるけれど、
夜の闇に包まれた海は、そんな輝かしい希望を見せたことなど嘘のように暗い声で、
ただし全ては自己責任だからね、と呟く。
何があっても自分のせいだからね。
溺れても遭難しても海は知らないよ。
何を選んでもいいけど、それが正解かどうかは自分で勝手に探して。
見つかればいいね・・・。
全ては自由。
あらゆる可能性を前にしたとき、手も足も出ない自分がいる。
渡るための方法が見つからない。
溺れることが怖いのかもしれない。
遭難してひとり漂い続けることが恐ろしいのかもしれない。
でもね、子供の頃から私は海を渡りたくはないの。
砂浜でずっと波音を聞いて、浅瀬でチャプチャプやっていたいだけの人間だっている。
貝殻や海藻を拾ったり、それだけで十分、満足していられる人間だっている。
そんな人間は鼻先で笑われてしまう。
臆病者と。
臆病なんかじゃないの。
ただ、静かに生きていたいだけ。
小さな喜びで満たされていたいだけ。
それが当たり前に許される世界になりますように。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
なら
そういった貴方と似たような価値観の人と仲良くしていくのがいいんじゃない?
ななしさん
あなたの表現が素晴らしいと思いました。
その通りですね…勉強になりました。
ありがとうございます。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項