手が震えている気がする。心臓の音が大きくて、呼吸が浅いような感覚。全身が少しずつ震えていて、力があまり入らない。タップする手が震える。勝手に。
少し白い部分が出ている爪をむしる。やりすぎた、甘皮が見える。気になるので甘皮もむく。痛い。血が出る。ささくれを思い切りむく。痛い。痛いのに。やめられない。少しだけ残ったささくれがきになる。思い切りむく。痛い。血が出ている。服についたらやだから、血をなめとる。唾液が傷口を覆ってしみる。指がジンジンする。
震えを上書きするみたいに、自らを痛めつけているのだ。痛い。痛くて、指が血で真っ赤になるのを見て、安心する。ボロボロになることが、嬉しく感じてしまう。心臓の音も、吐き気も、呼吸の浅さも、痛みが上書きしてくれる。物理的に痛い。痛い時だけ、心の痛みが忘れられる。そんな感じがしてしまう。
気を紛らわすのに身体の痛みが必要ってことか。
心の痛みも今では感情が浅はかで薄いせいかあまり昔ほど感じなくなったなぁ。
誰かと関わることでやはり面倒だなと思ってしまうことは出てくると実感したし、
それなら人とは適度に付き合っていくほうが自分には向いていると思った。
心の痛みとか本来ならあるはずなのに、感情がわかない。それよりいつも何歩も先の楽しい物事をしている自分のことばかり考えて過ごしているからか一人でも何とも思わない。
他人に興味がないって本当だと思った。
いくら仲良くしていてもその人の日常とか気にならないし、付き合っていた人もいたけど会わなくても特別寂しいとか無かった。付き合っていた期間でさえ自分ではない誰かが相手と付き合っていたようなそんな感覚だった。
端的に言ってしまうなら、興味が自分にしかない状態。
小さい時から今にかけて人に対して執着心が無い。だから執着心見せてくる人は自分の中で面倒くさい人カテゴリーに入れていた。
だから人と接していき生まれる心の痛さとか自分には理解出来ない。