虐待、ネグレクトをされて育ちました。でも虐待よりキツかったのは妹と差別をされたことでした。妹を可愛がることさえ精神的虐待に使われました。食事を抜かれた時も部屋から離れることは許されず妹がご飯を食べるところを見せられました。誕生日、クリスマスプレゼントは私は与えられず、妹が与えられるのは、私が可愛くないからだと言われ育ちました。間違って子どもの私が妹が出ようとしている車のドアを閉めてしまうようなことがあれば、ボコボコに殴られました。母からの暴力は日常茶飯事。私だけいつも貧しい家庭の子の様なみすぼらしい身なりでした。そうすると不思議なもので、自然に自分を大切にしない人と付き合う癖がつき、可愛がられた妹は自分を崇拝する人と付き合う癖がつきました。私は親の手が届かない場所まで逃げて生活をいています。親の手も借りられず、虐待の後遺症を抱えつつ生活をして行くのは、子どもができてからは更にきついです。一方妹は、親から土地をもらい虐待の後遺症もないので難なく安定した職につき、子どもの面倒を全て親に見てもらい、なぜここまで不公平なのかと正直気が狂いそうです。母は、友達とのランチを楽しみ、海外旅行へ行き、人生を謳歌しています。あの、鬼の仕業をした母が老いても自分のお気に入りの孫の面倒を適度に見つつ幸せに暮らしています。嘘をついて親に私を殴らせた妹も、何不自由なく暮らしています。託児所にも預けたことのない妹や親が、私が自分の子供を託児所に預けて働くことに不安を感じていると、そんなの皆やってることと一蹴します。因果応報って本当でしょうか。本当なら、母は地獄の苦しみを味わっているはずです。今は孫差別をしています。指摘すると私が頭がおかしい様に扱われます。まだ幼い私の子どもを悪役にしたり、冷たい言葉を投げます。赤ちゃんの時は、妹の子どもだけ抱っこし続け、抱きにくい、泣くなどと理由をつけて私の子どもを抱こうともしませんでした。私がいっぱいいっぱいなので兄弟を作ってやることもできず、周りに従姉妹もおらず、可愛がってくれるようなまともなおばあちゃんもいない自分の子どもが不憫です。母は気まぐれに私の子供を成長したら帰省する様に言いますが、あの鬼のところに自分の子どもを送ることなど絶対にないでしょう。子どもの頃から、自分の母は人間の仮面をつけた鬼だと思っていました。母と妹が苦しみの人生を送りますように。母と妹が憎くて憎くてしようがないです。そのことに執着するのは建設的ではないとは分かっていても、この思いをしっかり吐き出さないと前に進める気がしません。母や妹より幸せになりたいです。でも虐待の後遺症で、人並みの生活を送ることに苦労しています。
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ななしさん
時々匿名でのお返事しても匿名にならないことが続いたので、おへんじできず遅れました。お返事ありがとうございました。
私の妹に関していうと、全く弱くありません。自分は愛されて当たり前という揺らぎない自信があるのでとても強いです。なんなら自分をひいきしないような人は徹底的に批判します。一方私は、護られなかった経験ばかりしたせいで自分を護ることが下手で、母にさえ否定され痛めつけられたのが人生生まれてから長く続いた経験のため、健康な自我が確立できず弱いです。
膿を出すということもできればいいと思いますが、今のところこういう場所で語る以外外に出す術がありません。いつかその浄化ができればいいと願ってます。
参考になる体験を話して下さりありがとうございました。
小瓶さんと多分ものすごく似た境遇に育っていると思います。
ただ私には虐待されていた当時の記憶がないのが違う点だと思います。
小学1年生の時には絵が描けなくなっていました。自分の内面から何かを表現することが出来なかったです。
30歳頃に鬱病になって、やっと子供のような絵が描けるようになりました。少し内面とのつながりができたのです。
40歳頃から運命的に、内面に溜まったウミの浄化が始まりました。
いま小瓶さんが感じておられるのと同じ苦しみの40年分を、長い年月かけて、たくさんの偶然の一致に導かれながら浄化しました。
感じてウミを出してしまうまでは、その部分の感情を鈍らせているので、痛みを感じられず、ずっと痛い苦しい場所に居続けていましたし、人と親しくなることも難しかったです。
痛みを感じられるようになれば、離れることができる。人の痛みも分かる。
生きていける。
でも一人ではとても超えられなかった。たくさんの偶然の一致が、必要な時に必要な人に合わせてくれた、導いてくれました。
全部決まっていた事だと感じています。
つらすぎて、耐えられないと感じることも多いです。特に感覚を取り戻した今の方がそうです。
さぞ、おつらいだろうと思います。
母はいまだに妹だけを過保護に扱います。過保護に育てられた妹はとても弱いからです。
私はとても頼もしく育ちました。
鈍感だった頃は病気ばかりしていましたが、もう大丈夫なように感じています。
母のことも理解できるようになりましたし、ウミが無くなってきてからは、差別されたり、仲間はずれにされたりすることに対する痛みも薄くなってきました。完全に傷口が治れば、もう痛みを感じることも無くなるかもしれません。
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