今日の授業で臓器提供の話があった。
そこで先生が奥さんがもし提供する、となった時に眼だけは迷ってしまう、のように言っていた。
私はあげれるならなんでもあげたいと思っていた。もし本当に尊敬する大切な人が出来てその人と結婚したとして、もしその人がそんな状況になってしまっても、ただ燃やされたりするよりはどこかに居てくれると思えるから。
けどその話を聞いて、誰かの眼となるのも良いけれど、何よりも私の眼となれば良いのにな、と、自然と思った。
その人が本当に私が尊敬する大切な人であれば、その人の眼で見る世界は何よりも良いものだと思った。
いつでもその人の眼で私は物事を認識して、鏡を見ればその人の眼がある。
とても素敵なことに思えた。
友達と話している時にそれを軽く話したら「怖い」と言われてしまって、変なことを考えたなと思った。
それをすっと思いついた自分に驚いた。
臓器提供の話とは関係なくなりましたが、もし大切な人が臓器提供できるとなり、その決定権が自分にあるとき皆さんはどうしますか?
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ななしさん
提供しないと思います
都市伝説かもしれませんが、臓器摘出時に暴れるみたいな話があるからです
目や臓器が生きているかどうかは興味がありませんし、死ぬ最後の瞬間は安らかであって欲しいからです
因みに私自身は昔はドナーカードに全部提供するに印していましたが、いまは提供しません派です
もし悪人に提供されてもって感じですし、寿命が来たのならそれは運命でしょう
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