楽しみ方は自由って思われてもしょうがないんだろうけど、友達の誕生日を祝うのは全然いいけど教室や廊下でクラッカー鳴らすのは正直お互いの家でやってほしい
周りの人たちの迷惑そうな顔や、火薬で「くさっ…」ってなってることに気づかないのかな
明るい人には憧れるけど、こういう[明るい人]には憧れない
こんなことあの人たちに言っても妬みとか言われそうだけど
周りを不快にさせない楽しみ方をするような人になりたい
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
ななしさん
他人の気持ちを考える力なー。私もあんまりないかもしれない。
クラッカーも祝って騒ぐのも特に不快じゃない。
というかどうでもいい。
だからそれくらい気にすることか?ほっとけよ面倒臭い。
と思ってしまう。
不快な人もいるんだね。
ななしさん
自由といっても規制や法で範囲の狭い自由になってしまったんだよね世の中は。
秩序で縛れば社会にストレスが溜まる。
一番それが出やすいのは純真な子ども。
昔は子どもの悪ふざけには大人がゲンコツを食らわしたものさ(食らわされた体験者←)
例えばだけど、生たまごを割る加減はやってみなくちゃ分からない。
善悪すら儘ならない子どもは遊びで加減を覚えてゆく。
もちろん人の気持ちもね。
そういうの大人になっても知らない方がずっと始末が悪い。
事件にあるでしょ、いい大人が痴漢だの暴行だの。
そういう人間たちだよ。
どんな生き物でも狭い箱の中では生き苦しさを感じると思う。そんな箱の中で君は自由だよって言われてもどうだろうか。
もういいやって思えるくらいの広い遊び場が子どもには必要なんだと思う。
それと、他人を不快にさせる遊びには大人がゲンコツ食らわせなくちゃダメだね。
でもそうすると今の世の中、体罰だって問題になるか。
難しいね。
気づいた人が言うべきことを言う社会ならば不快は減る方法に向かうと思うんだけど。
でも全くは無くならないと思う。
不快を正せば不快と感じる人もいるからね。
でも、相手のためを思えば正さなきゃならんのです。
それが愛です!(笑)
締まりのない結論ですみません。
ななしさん
私の周りにもそういう人いました。
祝い事になると他の人に構わず教室で大騒ぎする人。
電車で騒ぐ女子高生などもそうだと思いますが、「気付く力」がないんですよね。
周りをよく見ることが出来る人になりたいですね。
ななしさん
いるよね
一部で散々めちゃくちゃに騒いで
ちょっと注意されたら
「みんな笑って楽しんでるんだからいいじゃん、いちいちうるさい死ね」とか言って逆ギレする奴ら。
周りで迷惑してる人が大半だったりするのに、 自分たちがやっていることが周りの全員にウケていると勘違い。
そういう奴らに限って同じことを他の人たちがやってたらキレたりするけど。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項