もしかしたら・・、ですが
わたしは、感情を解放出来ないというのは、
ハラがくくれていないのだと思いました。
今まで生きてきたやり方を、嫌悪しながらも
メリット(恩恵)を感じた部分はあったのではないでしょうか?
自分を受け入れるというのは、生きる価値がない、
しょうもない自分だなと感じる自分も、ひとまず
「オレの一部」と肯定することだと思います。
一旦、全部受け入れて、ニュートラルにもっていく。
(そうしないと、歪み自体も見えづらいかと思います)
メリットを一旦捨てるとは、例えば、
わたしでいえば、八方美人のカメレオンだったので、
それで乗り切れたこともありました。
その場しのぎのアタリの良い人・・を捨てるということです。
それは、嫌われる、排除される覚悟とイコールでもあります。
排除されても、世間ではなく、丸裸の嫌悪していた部分も含めた
自分を取る、という意味です。
多分それで、やっと、最低限の等身大になれる気がしています。
他者へのやさしさ、愛がどーたらなんて、
見返り欲しさがある限り
所詮は、自分も居心地が悪いだけのもの・・と
思うことがよくあります。
小瓶主さんが、いつか、傍らで泣きわめいている子どもの自分に
「そうか・・悲しいのか。気がすむまで泣きなはれ」
と黙って、タバコでも吸って
横で待っていてあげられるようになれるといいな、と思いました。
ゆっくりがんばれ。
(このがんばれ、は「変わりたいなら、受け入れた上で待つ」の意味でーす)
あたしも、おんなじさ。
まいたん