最近、夜になると妙に落ち着かなくなります。
父が死んでから3年半が経ちました。そのあと東日本大震災があって、その夏に一番仲良くしていた親戚の叔母がなくなりました。
叔母の葬式から帰った後、死にたくない。誰も失いたくないという気持ちが大きくなり、約2週間泣いて過ごしました。
3年経ち、落ち着いたかと思っていたのですが、年末に手術を受け、簡単な手術だったのですが、脊椎麻酔の回復を待つあいだ、足が動かせずなにもできないという恐怖からおかしくなり、足が動かせるようになってからも1週間、親にくっついて歩きました。
あれから3ヶ月。もう治ったと思っていたのですが、最近また、自分や周りの人の死について考えたり、よく見ていた芸能人の死亡を伝える報道を見たりすると、その恐怖感に似たものを感じるようになりました。
時には、江戸時代などの歴史にふれるだけで、全部なくなってしまう。という焦燥感にかられ、怖いと感じてしまいます。
亡くなることは必然であるというお言葉はよくわかります。
私も冷静さを失っているわけではないので、わかっているつもりです。ただ。それだけでは片付けられない辛さがあるのです。
同じような考えで苦しんだり、それに何か答えをみつけたかたはいらっしゃらないでしょうか。
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ななしさん
少し、分かるような気がします。
もっと先になれば時間が解決してくれるかもしれないですね。
あと、話がずれてしまうかもしれないんですが。
私は、明日が来るのがすごく怖かった時期がありました。
夜になると「また明日が来てつらい一日が始まるんだ…」と思って、泣くのです。
でもある時、自分が過去にばかり縋って、現在や未来をいい加減に扱っていることに気付きました。
それから、苦手なことを頑張ってみたり、現在に対してちょっと真剣に向き合ってみました。
そしたら、思ったより毎日はつらいことばかりじゃなくて、毎夜泣くほどの恐怖はなくなりました。
現在という時間軸を、前よりもっと好きになりました。
さて、あなたに言いたいことはですね。
愛おしい誰かや何かを失うかもしれない「いつか」じゃなくて、失っていない「今」をもっと見てあげてほしいのです。
ありがとう。大好き。幸せ。
そういう気持ちをたくさん感じて、たくさん伝えましょう。
みんな、いつかは無くなってしまいます。
でも自分が今何かを愛する気持ちは、確かなものだと信じていいのではないですか。
最後に、夜はたっぷり寝て、心身をしっかり癒してあげてくださいね(^^)
ななしさん
私は死に対して恐怖を覚えなくなりました。
人生はばつゲームなのだと考えるようになったのです。
いい人ほど早くになくなってしまうってあるじゃないですか。普通いい人ほど長生き出来るのが順当だと思いません?
思考というややこしいツールを持って生まれた人間は、そのせいで余計に苦しみます。でも、この人生で何かを償っているとすれば不思議じゃなくなるんです。
死はばつゲームを終えてから訪れる救いだと考えればどうでしょう。
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