私は大学に行った身なので余りいい返事は書けないと思うが、そういう前提で書く。
こういうとき、普通、志望した大学に行けなくても、或は大学に行けなくても、長い人生においてはそれほど落胆することではない、と言うことが多いと思う。ただ、そういうことは、あなたが自分で自分なりにできることをきちんとやって、人事を尽くしてから、自分に言い聞かせることだと思う。勿論、そのできることという意味の中には、環境やあなた自身の状態の中でできること、というものがある。あなたが今まで何をしてきたにせよ、兎に角、今の状態や状況において、あなたができると自分で思うことをあなたなりに精一杯するのがいいと思う。結果がどうだというよりも、或は世の中の風潮がどうであっても、あなたがあなた自身に対して自分はできることをやったのだと、胸を張れるようにすればいいと思う。人間には、できることとできないこととがある。一人の人間についても、或は人間の集団についても、そのことは言える。あなたが力を尽くしても、周りの状況やあなた自身の状態に影響されて、できないということがたくさんある。そのとき、結果を気にして、自分はあの大学に行けなかったとか、大学に行くことができなかったと嘆くことは、いたしかたない。ただ、あなたがあなた自身に対して、自分はこれだけやったのだと、胸を張ることができれば、それでそういう自分を認めていいと思う。後悔しないように、ということはそういうことである。それはあなたの今の勉学においても、将来の人生においても、そして人生を終えるときにおいても、そうである。世の中の風潮に影響された自分を責めることは容易い。ただ、影響された自分は、あなた自身に責められたとき、落胆したり怒ったりして、あなた自身に抵抗するかもしれない。そういうことを考えると、確かに自分を受け入れ認めることは、一言でそのように言えるほど簡単なことではない。あなたの人生には、夫々の段階において、或はそれぞれの状況において、すべきことがあって、その段階や状況においてできることをきちんとしたとき、前に進めるのだと思う。それは何かをなすことであるとは限らない。がっかりしている自分を励ましたり、やさしい言葉を自分にかけたりして、あなた自身の心や精神をメンテナンスすることも含まれると思う。ただ、その時に、あなたがおかれた状況やあなた自身の状態で、できないということもあるかもしれない。そういうときに、あなた自身を責めたりしないで、その時その時であなたができることをして、そうして一歩一歩前に進めばいいと思う。負け犬だと自分を責めるよりも、あなたが今からでも今できることをきちんとして、大学に行きたいなら行きたいなりに、手を尽くして、それから(できなかったならば)泣いたりすればいいと思う。大学に行くことが全てだと思ってしまうと、辛い思いをすることになる。私は一つのことしか見えないタイプなので、一浪して志望大学に落ちた時は、本当にショックだった。そう思いつめないことも、人生を生きる上では大事なことだと思う。
長々と書きすぎたかもしれない。余り役には立たなかったかもしれないが、この辺で書くのを止める。