20代は無理が効いた。
自分が変われば他人も変わるというので自分を殺して相手に合わせた。
仕事はそれで上手くいった、給料を貰えるから頑張る理由がある。
私生活でそれが無理だと気付いたのは20代の終わりだった。
相手に合わせても報われた感じがしないのは仕事における給料の様な
分かり易い対価を得ることが出来なかったからだ。
資格の勉強もスポーツも楽器も筋トレもやった結果が返ってくる。
それが最初から前提として存在しているから努力できる。
「俺がこんなに我慢しているのに何であなたは変わらないの?」
そうやって憎しみと嫉妬と塊のような人間になって力尽きた。
対価がないのに頑張れるほど人間が出来てはいなかったようだ。
結局、心療内科でお薬の世話になるハメになってしまった。
他人に合わせるのって本当に気力も体力も奪われる先の見えない作業。
そうして歳を重ねる毎に他人の価値観を受け入れられなくなる事実。
今はこうやってたまにネットで交流ができればそれで気楽だ。
自分の言いたい事言って、書いて、反応が無くても気にしない。
「他人に合わせる」という工程を省くだけで随分気楽になった。
そりゃ、反応があれば嬉しいけど、それはおまけの様なもの。
独りは寂しい気持ちもある、でもそれ以上に他人に合わせるのが嫌だ。
自分にとってその作業は仕事においてだけで十分過ぎるから。
受け入れられない経験を積み重ねたから、頑張る理由も見つからない。
価値観の相違を受け入れるのは仕事を円滑に進める為と、
給与という献身に対する対価を貰う為の我慢だけでいい。
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ななしさん
同感です。
いま正に、私生活で我慢している状態です。
私もあなたのように、割り切れる人間になりたいです。
ななしさん
これってもっと楽しくやる方法は無いのかな?
と考えてしまう事はありますけどね
それとはちょっと違ってそうですね
心のケアは継続中なのでしょうか
先ずはご自愛下さい
ななしさん
前にも小瓶流された方かなと思いますが、違ったらごめんなさい。
心療内科に行かれて日々を過ごされていらっしゃるご様子なので、なんとなくああ、良かったと感じました。
自分の、こうでなければ生きていけない、これが自分にとってまっとうな感覚なんだということを、解体したり手放したりするのは本当にしんどい作業です。
その想いや感覚はほとんど自分の皮膚に張り付いていて皮膚と同じだと思います。張り付いているだなんて思いもない。
お医者さんの言葉やあまたの自己変革の書物やワークショップは、「自分」を離れ、自分を客観視することで有効です。
自分が執着しているものはそれがないと生きていけなかったので、本当に大切なものだったのだと思います。
でもそのために苦しむなら、それらが肥大に育ちすぎたのではないかと、私は自身を省みて思っています。
どうぞ主さんにが自身の苦しさが少しでも楽になりますよう、祈らせて下さい。
冬
ななしさん
お金がなくても暮らせるならそうしてるけど、ないと暮らせないからねえ。
そこまでしてこの世に居たいわけじゃないんだよなあ。
ななしさん
げんきですか?
主さんの船も、ゆっくり進んでいってるように感じます。
こちらの船も、ゆっくりです。
いまは、それでいいと思います。
冬さんのお返事のとおり、解体したり手放したりは
ほんとに、しんどい作業です。
でも、もう、取り組んじゃってるから、
取り組む過程で、ちらちらとでも、新しい世界が
視界に入っちゃってるので、
見なかった知らなかったフリも出来ないので、
私に関しては、このまま行ってみようかなと思っています。
まいたん
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