安堂裁判官に涙。
馴染むために、普通になろうとする姿に。
まっすぐなところに。
根が綺麗で忖度がないのなら、言葉の裏を読む必要がなくて、私は好き。
だけど危なっかしくて、ハラハラしちゃう。
安堂裁判官の幼少期に涙。
いじめてられたり、親の不仲に。
本人の困りごとでもあるけれど、周りが困らせている部分が少しではない。
安堂裁判官の母親に涙。
「子育て、お疲れ様。手伝わせて欲しい」と言いたくなるのに、そう思う自分自身に対しても「口先だけの綺麗事。うんざり」と、思いに対して嫌悪感。
それから、育て方のせいではないと、私が安心するための診断名ならいらない。順序が逆だ。まずは、育て方だけのせいではないと安心してからの診断名。
少なからず、周りの目が育て方に影響する。「育て方が〜」「あの親だから子供が〜」何度も聞いた。それなのに、空気に飲まれて他人事にした。自分事で考えたら不安しかなかった。自信が消えた。
答えのない問い。願いは「子供のため」。だけど「子供のため」にならなかったら後悔。
精神科医・山路薫子が抱える葛藤に涙。
せっかく医師として真摯に向き合ったのに。
権威ある精神科医の誤診に怒りもあるが、そもそも、精神科医は、科学的根拠なのか経験則なのか統計なのか、曖昧すぎる。医者なのに。どうやって、患者を知るんだ?
冤罪被害に涙。
実際にあったかもしれない話で、今後もあり得る話だから。(菊池事件、ハンセン病)
法律を執行するのも人。人が間違いを認め、改めようとしたくても、法律では関係者があまりにも多すぎる。私が、他人の間違いだけを許し、概ね正しい状況が大半と思いながら、日常を送りたいとは思う。それができるか…、よりも、そうするしかない…としか、思いつかない。
最後に。
分からないことを分からないと分からないことは分からないのに、分からないことを分かろうとしない時ほど、分からないことを分かれよと嘆く。嘆かれても、分からない。だから、分からないことを分かろうとするのに、やっぱり分からないことは分かりません。もしくは、分かってないくせに分かったふり。でも、分かり合えたを…。
Even though I can’t even tell that I don’t understand what I don’t understand,
It is precisely in those moments when I make no effort to understand
that I am told to “understand what you don’t understand.”
But even if you lament, I still don’t understand.
So I try to understand what I don’t understand,
and yet, what I don’t understand remains beyond me.
Or I pretend to understand, even though I don’t.
And yet… I still want us to keep trying to understand each other.
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください