痛覚の何が疑問に思ったのかは判断しかねるので的外れになる可能性がありますが、仮に痛覚の存在そのものに疑問を持ったのであればという仮定で書かせたいただきます。
そりゃ痛覚が必要だからでしょう。
人間が生物として存在し、生まれてくる以上、本人の思想意志に関わらず「人間」という個体にとって生存し繁栄しようとするのは基本設計に組み込まれているでしょう。繁栄するには子孫を残さなければならず、子孫を残すためにはそれまで生き残らなければならない。
痛みというのはその個体の身体的欠損等を知らせるためのシグナルです。仮に痛覚がなく、その欠損を無視した状態で過ごすないし無理をすると死の危険が高まります。
精神的な意味における痛覚においても恐らくは同様のことが言えるのではないでしょうか。
何をするにもされるにも精神的な苦痛が無いのであれば人間のような精神構造を持つ種は恐らく自滅して滅ぶでしょうし。
つまり何が言いたいかというと痛覚は種の存続に必要だから存在しているということ。