仕事上、この人が居ないと困るって人には死なれたら困る。
この人は別に要らない、って人は死なれても困らん。
業務上の責任とかでなく事故とか病気とかで死なれる分には替えがきく。
能力が必要とされてそれが重荷にならなければ多分充実した生き方なんだろうな。
俺は死んでも困らない人間寄りだろう。
でも死んだら死んだで迷惑はかかる。
世界から完全に無かったことになれば良いと願う。
そんなことは叶わないのにな。
考えることに疲れた。
身体を動かせば少しは気が紛れるか?
それはそれとして、色々なものがウザく感じるようになった。
もしも日本で銃の所持が合法化したら自殺も他殺もがっつり増えそうだ。
俺も多分どっちかを実行してただろう。
それにしても休みの日だってのになんでこんなに面白くないのか。
やっぱり事故死が1番心が痛まないな。
残された側はどんな理由であれ死んだら悲しむだろうけど。
その点では宛メは死を感じることがない。
ある意味それが優しいことなのかもしれない。
小瓶や返事があれば生きてるとわかる。
小瓶や返事がなくなっても死んでるとは限らない。
死んだという事実を知りようがないから『小瓶や返事がないだけでどこかで生きている。宛メを必要としなくなっただけ。』と思えばそれが真実だ。
死んだら困る人間も、死んでも困らない人間も等しく生きていることにできる。
心の中で生き続けられる。
それが信じられなくなった時が死なんだろうな。
生かすも殺すも自分次第。
だったら生きてると思っていた方がいいだろう。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください