苦しい。
他人を攻撃して本当に本当のドブみたいな人間性に成り下がってしまう前に、もうどうにかなってしまえばいいのに。
ああ、もうとっくに手遅れか。
それとも、果たして私は犯した過ちの数だけ、許されなさを積み重ねただけ、なにか別の新しくて強いものを手に入れることができるのだろうか。発した醜い本心の数だけ! そうやって、傷つき、傷つけられた分だけ。
私の中身はとても醜い。
周りの人間をふと眺めるたび、どうしようもない劣等感に苛まれる。
私がその場に存在しているだけで「みんなの場」に流れている神聖な空気が、穢されていくような感覚がする。
こうやって、わざわざドラマクインぶるところまで。何から何まで、すべてがすべて、私の全感性の癇に障ってしょうがない。些細な言動や行動で他人を苛つかせることのできる自分という存在を、この世から抹殺したい。
「黙れ。黙れ、黙れ。私のことをちゃんと理解しない、認めない奴は黙っていろ!」
そうやって理不尽にブチギレ散らかしている私こそもう黙れ、もう、死ねよ。死ねよ。
ああ、死ねばよかった。
本当に、死ねばよかった。
電車にでも轢かれて
臓物ぶちまけて死んでくれれば。
実のところ、死ねば、なんていいながら、私は別に本当に死んでほしいわけじゃないのだろう。多分私はただ、私という人格にそう言っているだけ。
し、死にたい。私のことを追い詰めてくる人間を私の世界から抹殺するために、死にたい。私の頭の中まで追いかけてこないでくれ。死にたい。検閲に、殺される前に、死にたい。
そういう妄想。
私は間違えた。
間違え続けた。
一度でも口にしたものは永遠に撤回できやしない、ああ、そのせいでこんなにも私という存在は殺されそうになっている、いっそ殺される前に死にたい、いっそ殺される前に殺してやりたい、死ね、死ね、死んでくれ、でもそれって一体全体、誰に向かって言ってるの?
本当に気持ち悪いのは、醜いのは、黙ってほしいのは、死んでほしいのは、誰なのか?
それは卵が先か鶏が先か、そんなことを訊いているようなものなのだろう。
苦しい。殺してほしい。私の醜さを全て完璧に理解した私を全て完璧に憎悪してくれる他人に、心の底から、芯から殺されたいと思う。
「殺してくれ。
私は全部、嘘だから。」
そんな巧妙で卑怯な「嘘」を否定しないで、早く殺してくれる人間のことを、ずっと待ち望み続けている。
喋ってんなよ。
黙れ。
頭の中の私を否定する声がうるさい。
黙れ。
黙れ。
高尚ぶった人間が大嫌いだ。
嘘くさい人間が大嫌いだ。
そしてしかしその言葉は私に綺麗に跳ね返ってくる。
「高尚ぶった嘘くさい人間のゴミめが、お前はもう黙って死ね」
ああ、死にたい。
私はその声に沿って死にたい。
私を殺そうとしてくる声から逃れるためにその手を取って、死にたいのだ。
私を殺そうとしてくる「『誰か』の声」とやらは、しかし本当に私を殺そうとしているのだろうか? 本当に私に殺意を持っている? 本当に、私を憎んでいた?
きっとそうではないだろうね
そんなことは冷静に考えれば分かるね
自分に対する殺意に満ちていて気が触れまくっているのは、実のところ、他の誰でもない私自身だった。
ただ死にたいから死に向かう言葉を信じていたいだけなのだ。
それって、まあ当然のことだ。
もっと、不幸になりたいなあ。
もっと地獄に堕ちたいよ。
安全に着実に。
自我を溶かして無になりたい。
生きてる実感が欲しい。
そしてその生きてる実感とは私にとって、つまらなくて忍耐が試されてつらくて地獄みたいな、凍えるような場所でしか得られないものだ。
それはすなわち不幸だ、そして私はその不幸が欲しくてたまらないのだ。
だから私はこんな不毛なことをしているのだろう。それが一番自分を痛めつけることができる手段だから。
焼き殺された幸福というものへの信頼感はもう、全く息をしていない。ここにはもうなんの脅威もないけれど。息をしてはいけない。息を吹き返せば、今度こそ私はその呼吸の罪の重さに怯えなければならないから。幸せという罪の重さ。
幸福は酩酊に似ている。浴びれば浴びるほどその状態から離れがたくなる。
怖いこと、苦しいこと、つらいことから逃れるために人は幸福を望むが、その幸福にあてられたものは、しまいには、それが完全に断たれたときには完全なる機能不全を起こして頭がおかしくなってしまう。
だから私は嫌なことばかり思い浮かべようとするのだろう。
嫌なこと、苦しいこと、つらいことを
見ないふりをした者から死んでいく
ただそれだけの話なのに、人はどうして前を向こうと言ってくるのだろうか。
私に死んで欲しいのだろうか。
ただ酔いから醒めていたいだけ。
それともそんな思想こそがバッドトリップなるものなのだろうか。
それならそれでいいと思う。
脳内物質はいくら打っても枯れないし。
興奮して頭が痛くなってきた。
もっと、私が泣き出しちゃうまで、私には傷ついて欲しい。
小さい頃嫌がらせをされて泣いたあのとき、中学教師に私の悪いところについて詰められて泣いたあのとき、ひどい生活の束縛への悔しさに泣いたあのとき、私のこんなひどい文章を肯定されたとき、「愛されなかった」って気持ちを思い出して泣いたとき、私はとにかく、生きている気がしたんだ。
心底、気持ちが良かった。
でも不思議なもので
いくら自分で自分を傷つけたところで涙は一つも出てこないんだ、ね。いくらか呼吸はできるようになるんだけれど。ああ、たしかどこかで昔そんなことを言っていた人がいたっけ。まあもう、どうでもいいか。
疲れた。
私ってどうしようもないマゾだ。
誰か完璧な裁判官に殺してほしいな。
私の醜さが完璧に裁かれたら、また私はまともに生きられるようになるから。
もっと、居なくなりたい。
なんてね。ぐだぐだ言ってるけど、所詮こんなのも思春期のありふれた、典型的な感傷でしかないんだろう。だって、自分でもときどきその白々しさに我に帰るんだもの。
別にいうて私って普通の大学生だし。
普通に大学で友達もいるし普通に恋人もいるし、普通に家族ともわりと仲良くしてるし。それなりに後輩思いで高校の時の部活のボランティアも手伝ってるくらいだし、客観的にみて慕われてもいる。わたしのことが大好きな後輩ちゃんもいるし。高校のときの友達とは今度タコパするし。この前は友達と一緒に映画見たし、彼氏とは手なんか繋いじゃったし。
ほら、いうてまともでしょ?
ガワは極めて一般的。
ウチも極めて典型的。
だから私は代わりに、こうして文章でその典型的なキチゲ笑を発散してるだけ。
ちゃんとまともでい続けるために。
で? お前のことなんてハナから誰も否定してないのにね。自己弁護、お疲れ様でーす、って感じだね。
でもまあ結局、実際、弱いところを見せたら、すぐに殺されそうになってきたからなあ。何度も何度も。私のカスみたいな価値観が通常とは反転してるんだから、そんなの当然なんだけれども。
ああ救われない。
でも別に救われたくないのかも。
どうだろう。よく、わからない。
そもそも私にとって
救われるとはなんなのだろうか。
ずっと後ろを向いてることを肯定されること?
もしやそうかもしれない。
ま、そんなの、じくじくとした傷を一人でいじくり回しているのがお好きならどうぞ一人でやっていてくださいませ、って感じだな。
どうしようもない甘えた根性だ。
冷たくなった体を誰かが火葬してくれたときだけが、きっと私が真に救われるときだろう。私が、真に死体として扱われるとき。そのときはじめて、心から熱くなれる。
まあ、ぜーんぶ、嘘だよ。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください