私は、努力を、人に見られるのは好きではない。
淡々と、コツコツと、邪魔されず、ひっそりとやりたい。
勿論私のことなので、黒い意味もある(笑)。
私は職場で目立ちたくないのだが、どうしても目立ってしまう場所にいる。アンチも多い上に、舐められやすい。てことは、私の行動に対して面と向かってケチをつけたり、「その努力意味ないよね?」って言われたりする。それが実にめんどくさい。
言われたら、言い返せるようにはなったけれど、心の底から無視できるような人間にはまだ、そこまでは至っていないので、多少はイライラする。
それが私の努力に対して、気持ち的に邪魔なのだ。
例えば昨日。
仕事で、私が連絡事項を聞いたので、同僚内のLINEグループにて通達した。(私の分際で通達すると、よく思わない奴も出てくるだろうな)と思ったけれど、緊急なので仕方ない。
案の定、返信をくれたりリアクションしてくれたのは六人中二人。後の四人は既読スルー。(他の人の連絡事項にはマメに返信するのだが)
こーゆー小さいことでも、私は器が小さいので、地味にイライラする。
努力してる最中も、忘れるまでは小さくチクチク、どこかイライラ…。
でも、アイツらに「効いてる」って思われるのも癪なのだ。
だからまた、知らん顔で、隅の方でひっそりと目立たぬよう、密かに努力する。
険しい山をひっそりとこつこつと登り続ける野生の山羊のように。
まずは自分のため。
そして、人を下げて自分を保ちたい奴等をいつの間にか凌駕するため。
(ちなみに山羊座です)
ある人から宴席で「なぜ貴女はそんなに前向きに努力ができるのか」と問われたことがある。
努力というか…、それは努力という「ルーティーン」であり、そして決して前向きではないですよ、と照れながら答えた。もしかしたら生意気だったかもしれない。
努力したからとて、結果は保証されていない。
しかし、不安にならないように万全の努力をする方が好きである。
ダメなら、努力不足。稽古不足。
剣道の稽古中。
先生に「貴女は、小さい頃からやってる人達には勝てないから」だから自分と似たような人を選んで試合しろと言われた。
不思議と悔しくはなかった。
勝ち負けは一瞬。上達は一生ものだ。
もし仮に先生の言うことが絶対的事実としても、私は格上の選手の胸をお借りして稽古することはやめない。勝てないからといって、努力をやめる理由にはならない。
今まで通り、道場の隅でコツコツと着実に努力するのみ。
私の目標は勝つことではない。上達し続けることだ、と、改めて思った出来事だった。
(もし高みに私が登った時、職場や剣道部の、私のアンチの人達が悔しがったら、そりゃメシウマだけど…(笑))
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