自分の経験を振り返ってみて、ストレスに対する心の反応ってその原因によって2つに大別されるような気がしたので以下に記します。なお個人的な経験に基づくものなので全ての人に当てはまるものではないと思います。その点ご了承下さい。
まずストレス(とりわけ理不尽なもの)に対する反応ですが、何クソ精神と絶望に分けられると思うんです。
前者はつまり怒りとか殺意とかのストレスの元凶に対して打ち勝とうとする気持ちのことで、これがあるときは鬱っぽくなるというよりむしろ負けてたまるかという気持ちが原動力になって頑張れます。
対して後者はもう駄目だって感じで、まあ読んで字のごとくですね。こっちは死にたくなります。
じゃあどうして同じような理不尽に対して、このような正反対とも言える気持ちが沸き起こるのでしょうか。僕が考えるに、これはストレスの原因が自力でどうにか出来そうか否かによるものだと思います。
具体例を出していきましょう。僕は「部活の空気感が好きじゃない」というストレスを自力で何とか出来るものだと捉えています。そして実際に心にあらわれる反応は「部活やめたら自分の負けみたいで癪だから何が何でも残ってやる」という何クソ精神です。
逆に、僕は受験のストレスを自力ではどうしようもないものだと捉えています。そして心にあらわれる反応は希死念慮や絶望といったところでしょうか。
上記の例のように僕たちの心は、ストレスを自力で解決し得ると捉えているときには抗おうとし、自力ではどうしようもないと捉えているときには諦めるのではないか、というのが今回の発見です。
そしてその2つを切り替えるのはあくまでも認識です。部活の空気感を自分が変えられる訳がないと考えている人は「部活の空気感が好きじゃない」というストレスに対し絶望するでしょうし、反対に、全てのことは自力で解決できると考えている人は絶望などしないのかもしれません。
ものの捉え方を変えることはなかなか難しいですが、それができた暁には悩みが少し減るかもしれませんね。
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ななしさん
主さんも書いてくれてますが、やっぱ捉え方と言うのは人それぞれだから難しいですね。
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