自分に感情がそんなにあるのかわからなくなってきた。
うわべの感情と、生物的な心の動きはあるけど、根底からの感情っていうのがわからない。
友達といるときはすぐ笑うし、おもしろいとも思っていて、それが感情じゃないとは言わないけど、
限りなく感情に近い作り物だと思う。
映画を見て泣くときは、つくられた話だと思うとか、演技としてしか俳優をみれないとか、ベタだなとか、展開が読めたりとかしても、何かが「見本の感情」の琴線に触れたようで、物理的に泣いてる。
でも、頭の中では冷静にいろいろ考えていて、それはあくまで「事実」であって、感情じゃないと思う。
心の動きって本当に、人生で何度か経験したことがあるくらい。
本当に衝撃的な出来事があったとか、一番の親友を意図せず卑劣な方法で傷つけたとか。
こうやって考えていると、やっぱり自分って俯瞰しているよなって思ってくる。
全部のことを、可能性としか考えない。
感情とかプラマイの要素とか、色をつけないで、灰色の全部同じ可能性としか考えなくて、そこからまた派生していって可能性が増えてく。
でも感情はついてきてなくて、唯一本当にあたたかいかんじがするのは、あまり会えない姉に優しくしてもらったとき。
でも、友達といるときに何もかもが嘘かっていうと違う。
確かに感情と言えないかもしれないけど、でも感情ではないとは言えない。
なんなんだろう。
ずっとこうして過ごしてきたから、みんなこうしてるのかと思ってたけど、みんなは思考に感情を入れるから、答えは1つになる。でも私は全部灰色の世界を傍観しているから、可能性はいくつもある。
だからみんなに合わせて、一般的なほうとか、ときには個性を見せやすいほうに偏らせてきたから、そこからうわべの感情が生まれたんだと思う。でも全部本物だと思う。かも。
でも、こういうのをわかってくれる人と最近あって、自分は何なのかってまた考えるようになった。
ただ、感情とかテンションとか、共感とか、俯瞰してみると自分の芯の部分はほとんど動くことがない。
なんなんだろう。
って書いてて、結局いろいろ考えてて、でもキーボードを叩くのが心地よくて書いちゃう。
ごめんなさい、自分勝手に長くしてしまって。
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