幼少期はこんなんじゃなかったんだけどな、と。幼少期も不満だらけだったけれど、あの頃は幸せだったんだなって思う。
物心ついた時から母親や姉に冗談めかして"猿"だとか"危険ゴミ"だとか言われることはあったけれど、あの人達が悪いわけでもなく、そう言われるような自分に成ってしまったのが悪い、そう思うようにしてる。こんな人間が恨みや責任転嫁をする資格なんてないから。
死にたい、というより死なないといけない。その気持ちが現れ始めたのは3年前くらいで。そこからずっと自分の潜在的な意識の中に死というものは在った。そこから3年も、ずるずると引き摺って死ねていないのだから、その事実が自己嫌悪を助長する。死ぬ意気地もなにもないくせに、死んじゃだめな理由も、死ななくていい理由もなくて。なんで生まれてきたんだろうな、こんな人間。
別にこの自己嫌悪は過剰なものではないと思っているから、人に否定されようと優しさと気遣いだろうと思ってしまうし、いっそ相手の欲求を満たすためだけに言われてるんじゃないか、なんて人の善意を信じれなくなってきていて。益々己の思考が歪んでいくのが気持ちが悪い。
生きていようが他人に迷惑と心労をかけるだけ。こんな人間生きてるだけで周りが損をする。それだけで死ぬのには十分なのに、その本人もやめてしまいたいって思っているなら満場一致で死ぬべきなんじゃないのか。
3日後かな。自分は学生だから、出校日がある。初の受験の年。それを味わう前に死んでしまったら楽だよなと思う。あと3日。死ねる日は来るのかなって。明日に期待しながら今日も生きながらえてる。
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ななしさん
冗談めかして"猿"だとか"危険ゴミ"だとか言われ、その言葉の種から“ 死ぬべき”の芽が出始めてしまった感じでしょうか?小瓶主さんとしては、もう芽どころではなく実になってしまっていますか?
「なんて人の善意を信じれなくなってきていて。益々己の思考が歪んでいくのが気持ちが悪い。」とお手紙にありますが、いつかは『なるほど、こうなったか』と納得できる時が必ず来ます。
私も小学5年くらいから死にたいが目覚めた人で、今は選挙権を持つ年齢です。
だいぶ捻くれています。気持ち悪いですよ、確かに。
死のうとしなくても死ねます、ご安心を大丈夫。と言っていいものかどうか。とにかく、死は最後の最後の救いです。
生きている間は、他の救いにも出会えます。多分。出会えると思っています。きっと。
また、小瓶を流しに来てください。
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