「誰か」に褒めてもらえないと、自信を失う。
「誰か」に優しくしてもらえないと、自分が嫌いになる。
「誰か」に必要としてもらえないと、自分に価値を見いだせない。
「誰か」に笑ってもらえないと、笑えない。
「誰か」に歓迎してもらえないと、自分の居場所が分からなくなる。
「誰か」
「誰か」
「誰か」
私はいつから、「誰か」を中心に生きるようになったんだろう。
一人で立っていられなくなったんだろう。
もしかしたら、初めからだったかも。
ちょっと考えてたんだけどさ、
この「誰か」中心の人生って、ある意味「自分」中心の人生とも言うよね。
「誰が何をしたか」じゃなくて、自分に何かしてくれる「誰か」がいるかどうかが大切なんだもん。
不思議だなあ。
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パンにとって俺もその「誰か」かもしれないけど、俺にとってのパンもその「誰か」だよ。だから、パンは「誰か」に寄りかかるだけじゃないと思うよ。パンは優しいから、自分が自己中に思えるかもしれないけど、ちゃんと他の人にとっての「誰か」として、支えてることを忘れないで欲しいな。
ななしさん
確かに不思議ですよねぇ。
自分は誰にも影響されず、自立して生きているんだ、って思っていても、
無意識に「誰か」のポジティブな反応を求め、それに支えられているのかもしれません。
家族や先生や友達のように身近な「誰か」以外にも、リアルやネットでかかわり合った全ての「誰か」に。
あるいは「誰か」が創った文章や音楽やキャラクターなどが、「自分」の芯になっている人もけっこういたり。
逆に、ぱんさんが「誰か」にとっての「誰か」になっていることもあるんじゃないかな…?と思いますよ。
つきまちうさぎ🌕️🐇
たぶん、今 それだけ 誰かを頼りたいし、 "助けて!" って 言いたいってことなのかなぁ…?
🐰💦
誰か 中心は、自分 中心 って、なんか『なるほどなぁ』って思った。
🐰💡
『情けは人のためならず』っていうのも、もしかしたら それと近いかも?
…でも、わりと 世の中って、人間って、そういうものかもしれないよね。
🐇💭
"誰かの喜ぶ顔が見たい 自分のために がんばる" みたいな……
そういうのとか、すごく 心当たりあるもの。
🥐🐰
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