50を過ぎて大分経ったということは、能力、体力、気力の衰退を否が応でも認めざるを得ない状況に愕然としそして苛まれる様になったのと同じだけ時間が経ったということ。
若い時は怖いもの知らずで自信満々、何でもできるのではないかと思っていたが、良いこと悪いこと色々経験した結果、角が取れたというのは良すぎる表現で、すり減ってしまったというべきか。とにかくその結果が今の私だ。努力する気力はもはや全くない。定年まで何事もなく過ごしたい。
いや、嘘だ、定年まで今の給料を維持して出来る限り楽をして過ごしたい、これが偽りのない私の正体だ。
ひと昔ならあと一年ちょっとで定年という年齢。還暦まではゴールは来ないという前提でサラリーマンを続けてきたので、その点は問題ない。ただ65歳定年が当たり前となった今、逃げ水のように5年先となったゴールは、私の軟な精神に罅を入れるには十分な破壊力を含有していたようで、世間で風当りの強い働かないおじさんになりつつあることを強く自覚する。少なくともメンタル面はもはやなんら変わらない。
だから、子供が独立する3年後は、給料少し下がってもいいから楽なポジションに異動したいと切に願っている。そんな都合の良いポジションなんてないのはわかっている。そして65まで働かないとその後が経済的に厳しくなることもわかっている。住宅ローンもまだ残っているしね。
唯々食べていくためだけに、やり甲斐を感じられないことに貴重な時間を10年以上垂れ流さなければならない現実に、眩暈を感じるのだ。もう楽をさせていただけませんかね?
こんなことを書きなぐったのは、だれか共感してくれる人がいたら、弱く、勝手なのは自分だけではないんだという免罪符が欲しいからだと思う。今晩も、どこまで自分勝手な男なのかと、酒飲んでも晴れない自己嫌悪に落ちあるのだろう。
最後まで読んでくれた奇特な方、いたらお礼をいいたい。お付き合いいただきありがとうございました。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください