犠牲もなく、みんなが幸せになれる方法なんてあるのか。
この世は犠牲なくしてみんながみんな幸せに生きられるようなよく出来た世界じゃないと思う。
誰だって何かを犠牲になんてしたくない。できることなら、みんなが幸せになれる道を見つけたい。
でもそうやってあたふたしてる間に全部もってかれちゃうのが現実なんじゃないか?
切迫した状況下で、大事なのは迅速な決断。
それなのにいつまでも綺麗事を押し通して、犠牲を恐れて何も行動できないで、自分が本当に守りたかったものも守れないで、唯一守れたのは己の信念のみ。
それって一体誰のため?結局自分が汚れ役に回りたくなかったってだけなんじゃないのか。
犠牲になったものを可哀想だと言うのは簡単だ。
犠牲を選んだ奴を責めるのも簡単だ。
でも、そいつが守ろうとしたものを知りもしないで。
自分達はいつだって何かの犠牲の上で生かされてるってことを考えもしないで。
苦しみながらも決断を下した奴を責めるだけ責めて、ただ守られてるだけの人間の方がよっぽど、酷くないか?
苦渋の選択をして何かを守った人と、何もしなかった(或いは出来なかった)人。
ある意味どちらも同罪なんじゃないか?
それなのに、何もしないで守られた側の人間が、無力だった自分のことを棚に上げて、犠牲を選んで何かを守った奴を責める権利なんてあるのか?
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ななしさん
最初に考えることはみんな自分の立場だからね
自ら何もしずに守られてるだけの人間を守るとしたなら問い詰められたってなんとも言えない
ななしさん
なにを言おうとしているのかがよく分かる気がする
私も同じことをずっと考え続けている
ななしさん
他人の所有物である自転車を解体していた複数の生徒と対峙して怪我を負った方がいた事を思い出し、何ともいえない無常さを感じました。
ななしさん
もう少し具体的な話をしないか
ななしさん
犠牲なく皆が幸せに、なんて不可能。皆それぞれ考え方や意見が違うんだもの。誰かの幸せは誰かの不幸せなんてことは普通にある。犠牲無く、という人間は偽善者だと叩かれる。多くの犠牲を出すものは批判される。たいていの人間は最小限の犠牲で事を進めようとする。
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