「理由は特にありませんが学校に行きたくありません」と書く気持ちも分かりますが、何某か人間の行動や思考には、理由が伴うものです。
理由がないというのは、大抵は理由を自分自身で理由を理解していない場合が多いです。例えば、学校行くのが気だるいとか、行くのがめんどくさいとか、学校に行ってもつまらないからとか、ゲームで夜遅くまで起きていたとか、眠たくて布団から出るのが面倒だとか、体がだるい、授業受けるのがめんどくさいとか。様々に理由があります。
本当に理由が無ければ、学校に行きたくないという気持ちも生まれては来ません。何故なら、何の理由もないからそんな気持ちも発生しようがありません。
だから、相談を受けた方は何か些細なことでもいいから思い当たるようなことは無いですかと聞くわけです。これがコミュニケーションの始まりで、相手のことを知る為の第一歩になります。
この一歩を「理由はないっつってんだろ、文章読めねーの?、まじふざけんな」と蹴ってしまえば、相手はもう何も言うことは出来なくなります。コミュニケーションも何もあったものではありません。これでは相談なんて到底乗ることが出来ないのではないでしょうか?
あなたが反対に、同じ相談をきく立場だったらどうですか?「理由はないっつってんだろ、文章読めねーの?、まじふざけんな」と言われたら、どう感じますか。聞く相手も同じ人間です。その事を忘れずにいて欲しいと思います。