そういえば、と不意に思い出した。
誰かに抱き締めてもらった記憶が無いなぁ、と。
今は亡き父や祖父と夕方の散歩に連れ出され、手を繋いだ記憶はあるけれど、それでも抱き締めてもらえた記憶は無かった。
母や祖母にも必要な時に手を握る、手が触れる程度の接触しかなかったような気がする。
ネグレクトとかはされず、助けが必要な時は助け、ただ好きなようにさせてもらっていた。
けれど、抱き締めて、愛情を含んだ言葉をかけてもらった記憶が無かった。
だからなのかな、「誰かに必要とされている自分」というモノの存在価値を求めてしまうのは。
だからなのかな、他人と比べて「自分は存在してもいいのか」と確認したくなるのは。
試し行動というのだろうか?
自己を形成されなかった不安定な存在だから。
だから常に、誰かに「君はいてもいいんだよ」って言って欲しいのだと思う。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
小瓶主さんの想いを優しく受け止めてあげてください
名前のない小瓶
それわかるー自己肯定感が育ってないのと愛情不足だとなるんだよね…
昔の親って不器用だから言葉にしないんだよな~ただ、行動はどうだったかな?
多分あなたは愛されてたと思うよ!
自分の器を愛で満たすのを他人にすると依存になるから健全な愛で満たすのが良いよ自分の心を大切に、自分を大切にしてね
yuki.
私も誰かに必要とされたい。
でも誰でもいいわけじゃない。
そして必要とされる明確な理由が欲しい。
小瓶主さんに対して私が
「あなたの事が必要です」
「あなたはここにいても良いんです」
等と言われても救われないと思ってます。
何故なら私は主さんを少し気にかけてるだけの他人だから。
そんな他人の言葉で救われるなら悩んだり苦しんだりしないはずだから。
だから主さんが必要とされたい人に必要とされて欲しいと願います。
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