わたしは……
「こうなれたらいいな」とか「あんなことしてみたい」とか
そういう理想を、叶わない夢、儚いものとして語っているの。
だから、そういう理想を、叶えたい目標や頑張りの材料として捉える人とは認識のズレがあるの。
そう考えました。
ぼくは、すでに諦めていて……
口だけであれこれ語って実際に体を動かすことはほとんどないと思っていて……
でも他人は、ぼくのその語りを聞いて
『願っているなら、望んでいるなら掴みに行け』って背中を押すのかもしれない。
そしてぼくは「違う違う。べつに行きたいわけじゃないの」って押される力に抵抗する。
死にたいなあ。
なにもしたくないなあ。
寝てたいとか、起き上がりたくないとか。する気ないからこそしたいこともたくさんあるなあ。
あと何年苦しんでいられるんだろう?楽をすることができるんだろう?
死にたいって思っていられるのは死ぬまでか、思わなくなるまでだもんな…… 頑張らなきゃな……
生きていたくないけど、生きていくんだ。
絶対にいつか死ぬから。頑張れわたし。明日も、せめて家の中を歩くくらいこなしてゆけ。時にものすごく無理をして外出をしろ。頑張れ、できるぞ。働くよりは楽をしてる。大丈夫。
(これらは誇張表現の虚言である可能性がありますので、あんまり気にしないでください)
お読みいただきありがとうございました