頭でわかっていても、心は理解できないみたい
DV気質(手を挙げたことはないが)で自分大好きな夫と、子供の頃から自己肯定感(好きな言葉じゃないけど)の低いわたし、
共依存関係になりやすい関係から抜け出したら自分はラクに生きれると思う。
主治医やカウンセラー、友達に話していて、そう自分でも思う。
今の自分は大人。1人でも生きていく事はできるはず。
でも、
家庭という、絶対的に安らげる場所と、家族がほしい。
家が安らげて、パートナーと協力している、というのがほしくて結婚したけど違った。
10年以上経って、違ったという事にうすうす気づいてきた。本能的に見ないようにしていたんだなぁ。
親に見放されたら終わり→死
という恐怖感が抜けなくて、これはたぶんトラウマだと思うけど、
「自分はこの世に存在してて良いのか?」といつも緊張していないと、生きている気がしないのかとも思う。
こんなしんどい人生、もう嫌だ
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度重なる不安から夫婦生活に疲れてしまったのが伝わってきたよ。
友人や医師やカウンセラーに相談しているのであれば、客観的にも自分の置かれている状況と改善のためには何が一番なのか、大体は分かっているのだと思う。
分かっていても悩んでいるのは、やっぱり何かが引っ掛かっているからなのかな?
実はね、夫婦生活は共依存的なものがあるからこそ成立しているんだ。つまり共依存は決して悪いだけのものではないということ。
大人二人が完全に自立しているのなら、わざわざ結婚なんて契約をする必要がないからね。
だから君が共依存的に夫婦生活を送っていることは、至ってよくある普通のことなんだ。縁あって一緒になった二人が支え合いながら、互いの自立を目指しているのだから。
話から判断すると、君が一番に不安なのは、孤独と経済力なんだね。これが満たされたら安心して生きていける。逆にこれがないと「死」を意識してしまう。
それなら孤独と経済力さえクリアしたら夫と離婚しても平気か?というとそうでもなさそうだね。
きっと「私が居なくなったら困るだろう」、または「そう思ってもらいたい」という気持ちもあるんじゃないかな?
ほんの一握りの愛情。
きっとね、君は夫にそれを気が付いて欲しいんじゃないかな?って気がしたんだ。
自己肯定はね、自分を上げることで、優越感を育ててしまい、結局は何かが下がるから、劣等感になってしまうんだ。シーソーみたいにね。
だから「自己受容」といって、ダメな自分もいい自分も、褒めもせず貶しもせず、ただただひたすら受け止めて、それが自分なんだっていう感覚。
それを身に付けるほうが無理がなくていいんだ。
だから、無理して自分の存在の価値を上げるために頑張らなくていいんだ。まずはそのままの自分を受け入れるだけでいいんだよ。
夫婦で話し合えたらいいのにね。
夫婦で一緒にカウセリングに行くことができたらいいのになって思うよ。
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