人間関係に疲れるのは、分かるよ。いじめにもあったし、パワハラにもあったし、血縁から邪魔者扱いされたことも、友人に裏切られたことも経験してきたから。
そのたびに何度も死のうと思ったけれど、それじゃあ、余りにも自分が寂しいじゃない。何のための人生だったか、意味が持てないじゃない。
今は死ぬつもりはないけれど、仮に遺書を書くなら、親切にしてくれた人や仲の良かった人、家族、その他お世話になった人みんなへの感謝かな。あと楽しかった思い出とか、将来の夢や、もっと生きていたらやりたかったこととかかな。とりあえず自分なら、楽しい遺書をたくさん書いて残します。
そして、そこからもう一度考える。本当にこれで自分が死んでしまっていいのか。この中の一つや二つ、それ以外にも、もっと人生楽しんだっていいんじゃないかなって。出来ること、楽しめること、やり直せることあるんじゃないかなって。
だって人生って一度しかないんだもの。辛いことも多いけれど、もしかするとまだ自分の知らない楽しい体験も、自分の未来にたくさん残っているかもしれない。
だから、あわてなくても。一度書いたものは、またさっと机の奥深くにしまっておく。
再び死にたくなったら、また楽しかった思い出とか、みんなへの感謝書き足して、これでやり残しないかなって、やっぱり考えてみる。IRや本場アメリカのディズニーに行ってみたいとか。
恨みやつらみを書いても、誰も喜ばないし、自分で果たせるわけでもない。だから。自分の人生はこんなにも楽しんで生きんだって証を書けるまでは、僕の遺書は未完成かな。