自己嫌悪に苛まれる毎日。
嘘つきで卑怯者の自分が嫌い。
同じ過ちを何度も繰り返す。
何故生まれてきたんだろう。
息をするのも苦しい毎日。精神安定剤を飲みながらうつろな目をして廃人として生きる毎日に意味はあるのだろうか?ただ、心臓が動いているだけの人の見た目をした生物を果たして人間と呼べるのだろうか?
毎日、痛ましい事故や戦争で何の罪も無い子供達が亡くなっているこの世界で、何故人の形をした抜け殻の廃人である私が生きていかなくてはならないのか?みんなにとって不公平だと思う。
「誰かの分まで」「悲しむ人がいるから」って聞くけど、それは生きていて希望のある人の言う詭弁だと思う。
体より心の寿命が先に来る人もいるんです。
疲れたからもう全部終わりにしたい。
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ななしさん
こんばんは。小瓶読ませていただきました。
心が限界を迎えているのに生きていくのはとてもつらいですよね。何も生産的活動をできていなければ、余計となぜ生きているのかわからなくなっていきますし、まさに自分はいける屍だなと感じてしまうこともあると思います。
でもあなたはあなた自身であって、戦争で死んでしまった子供の代わりでも、病気で長生きできなかった子の代わりでもありません。行きたいと願ってなくなっていった子は確かにいますが、その子たちと私たちは生きている環境が違いますから、願いも変わってきますし、生きることの苦しさの種類も違います。あなたの生きることの苦しさは、本当の辛さで、誰にも推し量ったり、その悩みが小さいなどという権利はないんです。
本当は生きる権利が自由に選べたら、不公平さなんてなくなるのになと思いますが、そうもいかないのが今の社会で、屍のまま生きていかなくてはいけないのが苦しい所ですね。
どうか焦らず、ゆっくりと小瓶主さんが心を休めることができたらなと思っております。
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