もうやだ。出来ることならもう諦めて欲しい。ずっとずっとあの子のことばっか考えて馬鹿みたいに執着してでも全然あの子はそんなことないし私のことなんてもう目に写ってないし。私なんてどうせ学もないし勉強も運動もできないし顔も体も見てくれが良いわけでもないし誰かを助けるためになにか大それた事が出来るわけでもないしこんなネガティブな性格だし今こうやって書いてること自体嫌悪感がする。せめてみんなに好かれてるとか気遣いが出来るとかあればよかった。特徴があればよかった。あわよくば特技が。文才だってあるわけでもないのにストレスの捌け口みたいにここを扱うことも嫌だ。自分の好きなところを見付けてそれを大切にしてこその人間なのに生まれてこの方見つけれたこともない。自分が一番自分を分かってる、あくまでも他人しか知らない面があるのはその人に対して開示しない部分があってその人だけの情報で構成されるから。傍目から見て気付くことはあってもその理由や原因は全部自分。自分がいくらどう足掻いても人と関わり続ける限り外からの評価で考えることになる。日本語は他人からの評価をもととして自分を中心に周りを把握する言語だと評論文はよく言うがまったくその通りで自己を見つめて自分が好きにならないかぎりどうやっても他の人が自分を好きかなんて分からないのだ。自分が自分を好きにもならないくせに外の人を好きになってその人から好意を貰えないと癇癪を起してヒステリックになる。こんな時間さえ無駄だと頭で分かっていてなお感情を抑えることができないから泣いて喚いて勝手に疲れる。嫌だ嫌だと言うだけで何もしない、諦めるだけ諦めてさもなにもすることができないように振る舞い自分から自分の価値を下げていく。人並みくらいに事をやれたからと喜ぶと周りが一段上のところにいるから挫かれる。心が弱すぎて挫けずに前を向けない、進めない、ぼろぼろに心を引き摺って完治を見誤って余計に挫ける。テストの点数で良い点を取ればどこかでなにかをやらかして部活とか友達関係で歪みをつくる、部活で良いことなんてあった試しがない、主役を貰い練習のためだけに学校生活を過ごせば濃厚接触者で大会の二日前にドタキャンしたし、始めたての子に頑張ってきた演技で負けてこれといった役も貰えず皆のサポートもろくろく出来ない、体育の時間にうまくいって喜ぼうと思えば友達やらあの子はみすっててミスってて落ち込んでるから素直に全部が全部喜べなくなる、多分精神病とかでめちゃくちゃで脳が壊れてるだろうからろくろく頭も頼りにできない、もともと遺伝性の精神病持ちだと考えてるし祖母は私が小学生にもならない内に自殺していったし、それを言い訳にしてるのも烏滸がましい。自分が人間として生きるのが下手なだけのはずなのにそれを割りきって諦めてる態度にも腹が立つ。友達関係なんてもう考えたくもない、せっかく受け入れてくれたお洒落さんにあの子と一緒に笑い合うだけで怒りが沸く。親友だって多分心の底から私のことを嫌ってるけど体面を気にして直接は言ってこない。例の友達だって私には弱音を吐かないし愚痴も溢さない、もともとがそういう性格なのかもしれないけど人に対して悪い評価を絶対に出さない。だから怖いと思う。冷静な友達はいつも自分のことより周りのことを気にするからどう思ってるかわかんない。別に周りのことなんて気にせずに過ごせればいいのに悪意が怖い。悪意ではなく無関心であればどんなによかったか。初めからこんなひっぺり腰で真面目に人生を生きれないことに殴り飛ばしたくなるような怒りが込み上げる。少し傷付いただけで幼子のように泣く。学のある人間になりたかった、泣き虫じゃなければよかった、親が嫌いなわけでも下に見ている訳でもないけど遺伝子に恵まれたかった、優しい心の持ち主でありたかった、気の利いた言い回しができたり面白い話しができたりすればよかった。人に慰めて貰える人間になりたかった、元気がなければ調子を聞いてもらえる人間になりたかった、私の良いところを聞けば一つはすぐに出てくる人間になりたかった。なにもできない人間になりたくなかった。少ししか世間を知らない人間になりたくなかった。いつでもおんなじような人間になりたかった。