長文です すみません
また今日も家族がため息をついている。
私が、意図せず飲み物をこぼしても気付かない「雑」な面や、変なところにこだわって融通がきかないところが「理解できない」からだ。
これまで、何度ため息をつかせてしまったかわからない。
でも、いずれの場合も決してわざと「やらかした」わけではないのだ。
共同生活だから、相手の指摘は受け入れて、不快にさせないようにしたい。
少なくとも私の「人格(意識)」はそう思っている。
でもやらかしてしまうのだ。
私の「脳みそ」と「人格」は、別物のように感じる。
脳みそが、人格の「反省する気持ち」を踏みにじるかのように足を引っ張る。邪魔をする。
結果としてやらかしてしまうから、相手には私が反省していないように見える。
わざと煽っているように感じているかもしれない。
今日は、部屋の外から、3回も続けてため息を吐く音が聞こえた。
…何を言われても仕方ない。
仕方ないような事を、(意図しないけれど)してしまっているのだから、何もいう資格はないのだが、静かに、涙が溢れてしまう。
どんなに頑張っても、私の「人格」がどんなに反省し、改善しようとしても、意味がないのだ。
工夫しても抜け落ちるばかな頭。
悔しい。悲しい。
いっそ◯にたい。
いっそ、生まれ変わってまともな脳みそで生き直したい。
尊敬する推しの家族(子供など)になって、真っ当な脳みそで、真っ当な人生を謳歌したい。
でも現実的にそんなことはできない。
家族は、この気持ちをわかってくれているようで、わかってくれていない。
当事者でなければわからない部分も大きいだろう。
私は、どうしたらいいのか。
もう疲れてしまった。
大切な人にため息をつかれ続ける人生から、おさらばしてしまいたい。
くやしい かなしい
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
ななしさん
つらいなあって、思って生きると
案外楽だったりするの、私の場合だけど、
生まれ変わっても、私はダメなんだろうなあって
そうしたら意外と新しいものが見えて、
それこそ私は生まれ変われた気がするな。
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すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです