小4の頃からだったんでしょうかね。(現在小6)
友人と話しているとき。
私は、私の意見を言えなくなります。
言ったって、無駄だって気づいたんです。
相手はみんな、
「自分の意見が1番正しいんだ」
と言うことを信じているんでしょう。
もちろん私が間違った意見を言うこともよくあります。
ただ、私が正しいことを言った時も、大体自分の意見を押し通そうと必死です。
そんなことがあって、私の意見が正しいにしろ間違っているにしろ、意見を発することが怖くなり、言えないんです。
それが私にはストレスだったのでしょうか。
相手は暴言なども吐きます。
それで深く傷つくこともあります。
それに対して、私は無視など出来ず、暴言を言い返すんです。
自分の意見を言えないストレスだけでも苦しいものなのに、暴言なんて言われたら…心が持たないです。
それから私は暴言を言うようになったのでしょう。
最初はそれで心はマシになったものの…現在では、それでも心が持たないみたいです。
なぜなら、私の意見が否定される時の痛みが、どんどん増すんです。
それが苦しくて、限界を突破しそうで…消えたい、という結果になるんでしょう。
私は、暴言というのを守りに使っています。
でも…それでも、人を傷つけるっていうのは、良くないことなんです。
そんなの分かっていても、自分を守るためにまた今日も暴言を吐いてしまうんです。
どうしようもないダメ人間です。
本当に、死ぬべき人間なんです。
結構長文になりましたが、やっと全部をここで伝えられました。ありがとうございます。
また来ます。
暴言は「自分をわかって!話ちゃんときいてよ!」っていう自分の心の悲鳴なんだよね
自分でちゃんと気付いてわかってるの、素直にすごいって思う
君はダメ人間じゃないと思う
俯瞰して、自分がどういう状況か見れてるし
だから、暴言吐いて自分を守ってくれた自分の無意識にありがとうって言ってほしい
責めるよりも、必死に守ろうとしてくれてありがとうって、、
自分でちゃんと自分をわかっててあげたら、他の人の意見と違ってても、自分がちゃんと「自分の話」を聞いて味方になってあげたら、他の人にわかってもらえなくても自分はちゃんとわかってるから大丈夫、って思えるんじゃないかな
暴言を吐いてくるそのお友達も
同じ気持ちかもしれないね
「なんで分かってくれないの?わかってよ!」
悲鳴をあげてるのかも
今、その人はどんな気持ちになってるかな
自分はどんな気持ちになってるかな
なんでそう思ったのかな
そういうちょっとした気遣いが
自分も他人も息をしやすくしてくことに繋がるんじゃないかな
ねえ、死ぬべき人間なんて、いないんだよ
みんな幸せになる権利を持って生まれてくるの
それを自分のものにして、楽しく生きられるか
苦しいときこそ自分のために正しい道を選び取れるか
運命に試されてるの
今できなくても、当たり前
最初からうまくやろうとしなくていいの
たくさん失敗して、傷をつくって癒やして、葛藤しながら自分を育てていこう
自分が居心地よくいられるように
素敵だなって素直に思える考え方を自分のものにしていけるように
「自分」を内側に何度でも作り直して
色んな人の、考え方や価値観を知って
世界を知って、人を知って、社会を知って
、立ち止まって悩みながら自分で選ぶの
見え方一つで、世界はガラッと変わるものだから
今君が見てる世界が苦しくみえても
それだけじゃない
人を傷つけるっていうのは、確かに良くないことだけど
その痛みは無駄なんかじゃない
葛藤して、苦しんで苦しんで
見つけたあなたの答えは、尊いものだよ
たくさんの痛みを知って、優しくなってくの
たくさんの痛みを知って、受け入れて、泣いて、強くなってくの
暴言を吐いちゃう時があっても、自分を認めて許容してあげてね
相手のことも「こいつ、いっぱいいっぱいなんだなー」「追い詰められちゃってるんだな」って思ってみてほしいな