・何かをしたい
・何かをしなくてはならない
・何かをするべきだ
これらは同じようで、
全く異なるものだと考えている。
○をしなくてはならない、でもしたくない。
○をするべきだろうが、したくない(できない)
といったように、文章にすると異なる言葉であることがわかる。
「朝起きれないのが嫌で、治さなければと考えているんです。」こういうと大抵
「起きれるように“なりたい”っていう意志が重要で、これがあって来てくれてるからできますよね。」
しかし、起きれるようになりたいからとは言ってないし思ってもいない。
起きることはしんどい、正直苦しいの分類に入る。
でも朝から行動できない人間は異常であり、信用すら獲得できない。だから治さなければいけない。
だから足を引きずって来ている。ということがなぜか理解されない。
私は『病んでいない人間なんていない』そう考えている。みんなどこか精神疾患で、それでもまともを演じて生きているんだと、そう考えているのだ。
だから、“憂鬱な気分”や“不安”があるかと問われてNOという人もいないと思っている。
気分が晴れていたことなんてそうそうないからである。
でもこれが薬を服用すべきほどおかしな状態であることは、認めてはいけないし、あってはならない。
要するに私は面倒臭い人間なのだ。
我が家にとっては、鬱は怠惰で気狂い
おまけに発達障害は畜生だ。
いつの時代の価値観を引きずっているのか、理解に苦しいが、私はここから出られない。
奥底に愛と共に染み付いて離れないこの暴力が、
母に愛されたいというたった一心の為に消えないのだ。
たとえ私がこれらの存在を容認し、なんとでもなり得ることであると考えていても、私がそうあってはならないという柵は消えないのだ。
私は私を治さなければならない。
私は私を治すべきなんだ。