好きな人・大事な人に過去の自分を見せたくない、見せたら今の関係が壊れそうでこわい、と感じています。
私は北海道で塾講師をしています。
この前、社会人2年目になりました。
実は出身は岡山、昨年まで大阪の大学に通っていたので、北海道暮しもやっと2年目です。
別に北海道に縁もゆかりも無く、とにかく親から離れたい一心で北海道まで来ました
親とはとても仲が悪い(冷えきってる?)のです。
母親は私のことを「害児、キチガイ、穀潰し」と呼んでいました。
23歳で私を産んだため、母は若い頃に遊ぶことが出来なかったことを恨めしく思っており、しかも産後うつになり、精神科病棟に入ったため、私に対して愛着が湧かず。
また、幼少期に祖母の家に預けられていた私は、言葉が中々話せず、発達障害の疑いがあった。母親の顔も知らずに育ったため、母が迎えに来た際に怯えて逃げ出したりしたらしく、母は私が生まれた時から『可愛くない子』と思いながら接していたそう。
私は母が怖くて仕方がなかった。いつ怒るか分からないし、たくさん叩いてきて、髪も引っこ抜かれて、包丁を持って追っかけられたこともあって、家にいるのが苦しかった。
バレーをしていたが、指が2本折れた時も、インフルエンザの時も休むのを許されず、コーチに気づいてもらえるまで痛いとも言えず、泣きながらバレーをした。
それでも所属していたチームでキャプテンになるまで頑張ったが、母がチームメイトの保護者と揉めて、別のチームに無理矢理入団させられたり、正直めちゃくちゃだった。
勉強ならなんとかなるかもしれない、と思い、中学受験したいと母に言い、無事合格した。
しかし、レベルが高く、クラス内でも真ん中というなんとも言えない成績になった。中学では好きなバレーも辞めて勉強した。けど上手くいかない。
次第に『死にたい。苦しい。楽になりたい。』という気持ちが強くなり、勉強に身が入らなくなり、悪い遊びをするようになった
先生にダメ!と言われたことはわざと全部やった。今思えば些細なことが多いが、母親に殴られてもそれまでは『こわい。ごめんなさい』と思っていたのが『そのまま強めに殴って殺してくれればいいのに』と思うようになっていた。感情がなくなっていた。
私は高校時代も似たような生活をしていた。
高校生になると、母親は私を殴りながら泣くようになった
『23歳でデキ婚したせいで、若い頃に遊べなかった!お前なんか産みたくなかった!死ね!』『あんたが産まれたせいで人生狂った!人生泥棒!』『キチガイの癖に笑うな』『お前みたいな害児じゃなくて、A(私の弟)だけでよかった!』『私の子どもはAだけでいい!お前なんか死ね!』『(包丁を持ってきて)これで今死ね』
私はいつもどうしたらいいか分からなかった。
最初こそショックだったが、最後は何も感じなくなってしまった。頭もハゲて、常に頭がボーッとして、とにかく死にたかった。
大学に行って全てが一変した。
母親のいない生活は、全てが楽しく、全てが新しくて自由だった。
友達もできて、バイト先の人も優しくて、好きな法律の勉強が出来、サークルにも積極的に参加した。
生きるのが楽しいと思えた。
もちろん、家事を自分で全部やることになり、母の苦労を知ることはできた。感謝もした。
だが、年末年始に帰って母に言われたのは『産んだ子供のうち1人は害児(私のこと)だったけど、ちゃんとした頭の子ども育てるのは楽しいのよねー。もう1回子育てしたいからさ、適当な男とヤッてきて、産んで子供ちょうだい。生まれてすぐ私が育てたら害児にはならないはずだから。』
『そんで、あんたは子供生んだら、地元で公務員になって、親の介護してね。長女だから当たり前でしょ』と言われた。許せなかった。
二度と実家に帰ってたまるかという意思が固まった。
そして、私はできる限り遠くに就職しようと心に決めた。
別に大阪でもいいのではないかと思ったが、1度私が居ない時に(友人と旅行に行っていた)、アパートにやってきた母が、こたつの中にガラス片を置いていき、旅行から帰ってきてそのまま家に泊まりに来た友達が、足を切ったことがあり、本当に許せなかった。
きっと私が足を切るという想定で仕掛けたのだと思う。
別に切ったのが私ならまだいい。私の友人に痛い思いをさせた、ということが許せない。
1度、私に嫌がらせをしに来れないほど遠くに住んで、縁を切り、ほとぼりが冷めたら、友達の待つ大阪に帰ろうと思っている。
そして、私は北海道で塾講師になった
塾講師をしたいと思ったのは、高校の時の先生と友達がきっかけだ。
出来の悪い私にいつも付き合ってくれた優しい先生と、一緒に、行く大学を探してくれた友人
二人のおかげで楽しい大学生活を送れた。
私も生徒を導いて、生徒が少しでも生きてて良かった。楽しいと思えるように手伝いたいと思った。生徒にとっていつでも味方でいてくれる存在でありたい、と思った。
まだなれているかは分からないけど、そうあり続けたいと強く思う。
親とはまだ縁は切れていないけど、少しづつ前に向かって行きたい。
ただ、ここまで読んでいただいてわかると思うが、私のこれまでの人生は暗いし重い。
そして、発達障害がまったくもってない!とは言いきれない性質がある。(不注意が多い、要領が悪い)
こんな重い話は大事な人に聞かせたくないし(引かれるのが怖い)、自分が逆の立場であれば、聞かされるのはしんどいだろう。
できるだけ言いたくは無い
言うか迷っている原因は、母の暴力の跡が目立つためである。
明らかに左の側頭部の髪の毛が私にはないのである。
母が馬乗りになって引っこ抜き、生えなくなってしまった。
向こうは気づいているけど聞いてこないので、今の所私も何も言っていないが、聞かれた時のことは迷う
みなさんはここまでの内容を読んでどう思いましたか?
読んで嫌な気持ちになった方もいたと思います。
とても気持の良い話ではないです。
宜しければ、これを口頭で伝えられたと想定するなら、
どう思うか、今後のお付き合いに影響するかなど、どんな意見でも構いませんので、率直なご感想をいただければと思います
よろしくお願いします。
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです
名前のない小瓶
こんにちは☆
ほんとにお辛い過去でしたね。
私の主人も母親から愛されなかったという点では同じくで、他人事とは思えずお返事しています。
主人は母親の思い通りの道に行かなかった為、嫌われました。
去年突然亡くなりましたが、「あなたの事がずっと嫌いだった」と遺言書に書かれていたくらいです。
小さい頃から虐待と言えるスパルタで育てられた為、勿論主人も母親の事は嫌いです。
主人は家から離れる為、転勤のある仕事につきました。
私はあなたが言いたくなければ過去なんて言わなくていいと思う。
ただ、愛する人、自分を理解して欲しいと思う人、人生を共にする人には伝えた方がいいかな。
言わなくて良いこともあるけど、この様な実家の事案はわかっていて欲しいし。
過去も含めて愛して欲しいじゃないですか。
それに、どうして実家に行かないの?とか聞かれる機会もあると思うし。
ちなみに主人も自分の黒歴史とあまり言いたがらなかったけど、私は聞いても重いとか、嫌だとか、そんな気持ちは無かったです。
もう親とは縁を切りましょう。
その代わり、親に頼らなくてもいいように、一生懸命生きましょうね!
親でも、愛が無い人がいるのです。
私もこの年齢になって色々と見てきてわかりました。
人は一人では生きていけないと私は思うので、支え合う人ができたらいいですね。
あなた様のすべてを受け止めて、大切にしてくれる人、その人を大切にしてくださいね。
これからの人生が幸せであるよう、応援していますよ!
ななしさん
もし私があなたの恋人だったら、あなたのお話しの後に、あなたのことをギュッと抱きしめたと思います。
そして。。。。
今まで生きていてくれて、どうもありがとう。
とってもつらかったよね。
頑張って、生きてくれて、ありがとう。
これからはいままでの分も一緒に幸せになろうね。
。。。。とあなたに伝えると思います。
引くとか、嫌な気持ちになることなんてないと思います。
それとは、反対にあなたがとても一生懸命に生きてきた、素晴らしい人であることがとても伝わってきました。
あなたの幸せを願ってやみません。
どうか、ご自分に自信をもって、恋人の方とお幸せになってくださいね!
お返事がもらえると小瓶主さんはとてもうれしいと思います
すごくやさしい言葉をかけてあげてほしいです