人と接するのが億劫…。
何故そう思うのか、もやもやしたのでよく考えてみた。
…
昔から求められている自分、または見た目から誰かに予想されている自分を意識的に演じている気がする。
誰かの前に立つとその人に合った自分になってしまう。
例えば、陽気な人に対しては陽気に。
話し好きの人の前では、よく聞くように。
大人しそうだと思われていると察すれば、
丁寧な言葉遣いで。
処世術?癖なのか、最早自分はそういう人間なんだと、割り切って考えることもある。
だが、いっそこれは反射なんじゃないか、とまで思う。
その反射の一端を見られただけで、他人に自分のイメージを、固定観念を塗り固められる感じがどうにも不快に思う。
簡単に言うと、
レッテルをベタベタ貼り付けられてる感じ。
〜さんには、陽気な人間のレッテルを貼られて。
〇さんには、大人しい人間のレッテルを貼られて。
※さんには…
と言うように。
人の一面だけを見て決めつけられるのは嫌なんだけど、
その人の固定観念からズレた時の空気が
もの凄くぞっとして怖いんだ。
どんな反応をとろうが、何をしようが自分なのに。
自分の意思のはずなのに。
言葉にされずとも、
その空気感が嫌で1人の人に対して自分の一側面しか見せられない。身内とか、かなり仲のいい人は別だけど。
だから、中途半端な距離感が一番居心地が悪い。
どの程度、自分の他側面を出していいか、
測り続けていくのがしんどいからかな。
後、その人が他側面の自分を受け入れてくれるか分からないし…常に不安なのかもしれない。
受け入れてくれるだろうと思って自己開示した時の、
違和を抱いた表情や拒絶が怖いんだなと。
大半の人は自分との関わりなんてないから、
自分をすんなり受け入れてくれるかなんて分からないのが当たり前だけど…だからこそ人と接するのが億劫になってるのかも。
何となく人と接するのが億劫な原因が少し見えたかな。
すっきりしたかは別のお話だけどね。