言わなくてもいい “ひとこと” を言っているのは理解してるつもり。
でもそれを言ってこその “わたし” 。
そんな“わたし”で居られないなら、許されないなら、自分はこの世界に存在できる人間ではないのだろう。
と、そう思う。
もちろん、
時と場所、相手、いろいろ考慮してのその “ひとこと” だ。
いつでもどこでもだれにでも、そういう振る舞いをするわけではない。「ここなら許される」と思ってるから “ありのまま” で発言したんだ。
まあ、でも、不安で不安でしかたないから、
こうして小瓶に書いて流してるんですけどね。
自分の気持ちの整理……懺悔?
ちょっとだけ、重荷を海に流したいだけ。
全部持つのはつらいから、ほんのすこしだけ、ここに置きたいのです。
書いたところで晴れるわけじゃない。ずっとどんより曇りのまま。でもちょっとだけ、ちょっとだけ、晴れ間ができるかもしれない。
ぼくは、生きにくい人なんだ。難しいの。
怒られる、叱られる、注意されることばっかりしてると思う。
こうして開き直るのも、誰かを不快にさせる要因。
それを直そうとしないのも。
死んでもいいから、
生きなくてもいいから、
自由に振る舞って……今日もわたしはサイテーだ。
自虐という加害をし、加虐という自害をする。
誰かの心を、自分の心を、今日も傷付け殺している。
そうして生きている。
今日も息をしている。
ありがとう。
生かしてくれて。
ありがとう。
本当に殺さないでいてくれて、死なないでいてくれて、
ありがとう。
いつか 消えるまで、
どうか……
よろしくお願いします。
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ななしさんへ
こちらこそ、お返事ありがとうございます。
んー……どうですかね?
わたしがどういう辛さを持ち、どういう人間か、
あなたの想像や判断にお任せします!
ただ、「的外れだなあ」と思って不快になったりはしてないのでそこは安心してください!
(謝らなくても大丈夫ですよ)
ということは書いておきますねー。
あらためまして
ありがとうございました。
ななしさん
わかります。
と言っていいのかどうか分からないけど、余計な一言があってこその私、それが無くなったら私ではなくなる、という部分は本当にそうだなと思いました。
最近、ありのままの自分を出した小瓶が流れない、というような表現をよく見かけるので、この小瓶を読んでうなずいてしまいました。
運よくそのままの形で流れ着けばいいけど、たとえば、流れないからチェックに通るように書いた小瓶は、そうやって忖度して書いた時点で、私自身の小瓶ではなくなる。
忖度というのは、基本的な言葉の使い方だったり、誰かを傷つけるものにならないようにとか、荒い表現をしないという意味ではなく、チェックする側の顔色を伺うように書くという意味です。
私ではない小瓶が流れ着いたとして、それはもはや流したい小瓶ではなくなってますよね…
ここなら許されると思って書いた、もとの「自分」がすり潰されていくようで、悲しくなります。
ななしさん
他の方と少し違う辛さがある気がした。
人を救えない事からくる苦しみ、のような。
当たってたら、あなたは底なしに優しい。
的外れなら、ごめん。
小瓶ありがとう。
よろしく。
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