子供の頃、母親からお前なんか生まれなければよかったと殴られて、吹雪の日に裸足に下着一枚で外に出されたり、家事が上手く出来ないとまた殴られて、勉強やピアノが上手く出来ないとまた殴られて、一晩中勉強やピアノの練習させられて、
お前なんか一生誰も好きにならない。絶対幸せになんかなれない。と呪いの言葉を吐かれ、
学校でも仲間外れにあって、つらかった日々。
家に帰りたくなくて野宿した事もあった。
思春期に入り、母親から逃れたいと家出を繰り返し、グレて、ヤバい人達とも付き合って、他人を羨んだり、信じられなかったりで、自分も他人も傷つけた。トラブルこそ私のお得意のゲームって感じだった。それから故郷を離れ、家を出た。
自殺未遂2回。失敗した。
それでも生きて来たら、少数だけれど、優しい人達とも出会えた。安心できる友達や、家族も出来た。
自分も子供を虐待するんじゃないかと不安だったけれど、そんな事はなかった。思うようにならない事もいっぱいあるけれど、子供は呪いたくなるような、殴らずにいられないような存在じゃなかった。
家族が出来たら出来たで、仕事と育児と介護と、旦那ちゃんの病気、休職、失業がいっぺんにやって来て、大変な事も長く続いた。
子供が大きくなるまでは頑張ろうと頑張って、
父親と祖母を見送って、旦那ちゃんの病気も良くなって復職して、子供が大きくなったら更年期になっていた。あの恐ろしかった母親は重い精神病と認知症で施設に入った。
更年期からは胆嚢摘出手術、重い更年期障害のめまいや不眠、吐き気などから更年期うつ、気分循環症、ラムゼイハント症候群などの病気になった。入退院を繰り返して、出来る事があんまりなくて、寝てばかりいる。
それでも、子供時代や思春期よりは孤独じゃない。
支えてくれる人達がいる。殴られる事も暴言を吐かれる事も、呪いの言葉を吐かれる事もなく、安心できる居場所が出来た。
母親からの呪いは効かなかった。
もし母親に復讐するとすれば、一番の復讐は私が幸せになることだ。
自身の人生が思い通りに行かなかった事を子供への呪いに変えるような、あの不幸で可哀想な母親のようにはならない事だ。
生きていてよかったと思える時まで生き続ける事だった。
子供の頃の私へ。哀しみを知る男の子はそばに来てくれたよ。
ぼんやり座って指折り数えてみる。
自分に何が出来るのか数えてみる。
小さな女の子の不幸の数を。
私に出来るのは雨粒の数を数えることだけ。
不幸な女の子に降りかかる雨粒の数を…
"Little Girl Blue" Nina Simone,
Janis Joplin,Amy Winehouse,Chet Baker,etc
思春期の頃の私へ
時には幸せを見つけるために正しい事をしなければならない。
一度は自分の中で感じている事を信じる必要がある。
"Sometimes" The Brand New Heavies
大丈夫。呪いは解けたから。