LINEスタンプ 宛メとは?

どうしても消せない死にたい気持ち、誰にも言えなかった過去のトラウマ、どうか聞いてほしいです。そして皆さんのお話も聞かせてください。

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大学3年生の男です。
これからの長すぎる人生を、生き抜ける気がしません。
ずっとずっと死にたい気持ちにつきまとわれています。
以下私のこれまでの人生を語らせてください。長くなってしまいますが、どうしても誰かに、現実世界では誰にも話せない私を知ってほしいのです。どうかお付き合いください。

私は地方の片田舎に二人兄弟の弟として生まれました。兄は二つ上で、頭も良く、スポーツもでき、ユーモアもある、弟の私には少し意地悪でしたが、理想の兄でした。
兄に比べると私は暗い性格で、本を読んだり、お絵かきをしたりするのが好きな子供でした。ユーモアもスポーツも兄に敵いませんでしたが、勉強だけには自負がありました。
父も母も優しい人で、子供たちの自主性を重んじてくれる、裕福ではないが貧乏でもない、本当に恵まれた家族でした。

しかし、私が小学校高学年くらいの時から、両親が頻繁に喧嘩をするようになりました。
僕と兄は両親が怒鳴り声を上げて喧嘩を始めるたびに、愛犬と一緒に別の部屋に避難して、テレビの音量を最大にしました。そんなことが毎日続きました。
そのうち母は、長く家を空けることになりました。隠れて電話する父の話を盗み聞きすると、どうやら精神科病院に入院したらしいことがわかりました。
母はその後も何度か入退院を繰り返すようになりました。

中学1年生の時に私は、自殺未遂…というと大袈裟ですが、それに近いようなことをしました。
期待に胸を膨らませて入部した運動部で、馴染めなかったのです。入部当初は優しかった先輩たちは、ぎこちないコミュニケーションしかできない上に、競技でもミスを繰り返す私に愛想を尽かし、私が話しかけると舌打ちをしたり、冷ややかな態度を取るようになりました。仲の良かった同級生たちも先輩たちに合わせ、私を無視するようになり、私は完全に部内で居場所を無くしました。
しかし、私の中学校では部活は原則強制参加のうえ、三年間継続するルールでした。実際、中途退部者が多く出た私の学年は弛んでいると集会の場で学年主任に叱責されたくらいには、拘束力のあるものだったのです。
そういうわけで部活を辞める決心も尽きません。
私はどんどん心を病んでいきました。それに伴い学業成績も低下の一途を辿りました。
ある日どうしても学校に行きたくなくなりました。一方で、部活を休めばまた先輩に小言を言われてしまうという恐怖も同時に起こりました。私は葛藤し、ぐずぐずと登校の準備をしました。登校するには遅刻ギリギリの時間でした。
そんな私の優柔不断な様子が、当時精神の不安定だった母には腹立たしいものだったのでしょう。
「行くのか休むのかどっちかにしなさい!」
ヒステリックな金切り声で私を怒鳴りました。
私はそのインパクトに押されるまま、涙をぼろぼろ流しながら、自転車を漕ぎ出しました。時間はギリギリです。生真面目な性格の私は、それまで一度も遅刻をしたことがありませんでした。もし遅刻してしまえば、唯一の取り柄だった、真面目さすら失う。運動も勉強も真面目さも、もう俺には何も残らない。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい。
頭の中が一杯になりました。あと一つ角を曲がれば、もうすぐというところで、雨でぬかるんだ地面にタイヤを取られ、私は転倒しました。
始業のチャイムが鳴りました。
私の情緒はそこで限界に達しました。
声を上げて泣きました。
私は倒れた自転車をゆっくり起こしました。
もう死ぬしかない。
そばには幅2m、深さ1.5mくらいの側溝がありました。私は覚悟を決めて、自転車に跨り、後ろに数歩下がりました。そして目を閉じ、ペダルを素早く漕ぎました。サドルがガタンと沈み、宙に浮くような感覚がした後、私は気づくと、顔の右半分が水に浸かった状態で、うつ伏せに横たわっていました。
私は死ねませんでした。
全治1ヶ月にも満たない鞭打ちと庇の割れた通学用ヘルメットが残りました。
筆が乗って、話がズレてしまいました。
とにかくこの時私は初めて死のうとしました。具体的なアクションを起こしたのはこれで最初で最後です。
その後私は自転車を残したまま側溝から這い上がり、ずぶ濡れの体で学校に向かいました。その時もまだ、事故の口実があれば、遅刻にはならないかも、なんてことを考えていました。
私の様子の変化と続く事故から、周囲も何か異変に気づいたのか、私はその後比較的スムーズに部活を辞め、少しずつ心の平安を取り戻していきました。

そして中学3年生の時、再び大きな出来事が起こりました。両親の不仲の原因が分かったのです。
父の不倫でした。
両親の喧嘩が増えた小学校高学年ごろには、どうやら母も知っていたらしく、父と不倫相手がセックスをしているまさにその現場に乗り込んで行ったこともあったそうです。それでも父は不倫をやめませんでした。母がとうとう我慢の限界を迎え、私たちを呼び立て家族全員の前で真実を晒したこの時まで、母は私たちに父の不倫を悟らせまいとしていたのでした。
不倫相手が誰なのか私たちが聞くと、父は母への当てつけのように、「綺麗で賢い人」と不倫相手のことを褒めました。精神の不安定だった母はどうしてそんな言い方ができるの、と泣いていました。父は居心地悪そうに半分開き直ったような態度でした。付け加えて父は「2人も絶対大人になったら父さんの気持ちがわかる。」と言いました。この時ほど父が情けなく見えたことはありません。しかし同時に、知りたくもなかった過去のことも同時にわかりました。
「何で父さんばっかり責められなきゃいけないの?最初に浮気したのは母さんだよ。」
母はあれは違う、と泣きながら否定していました。しかし、どうしてもその言い方には無理があるようでした。
母は私たちが幼い頃、父の車の中で別の男とセックスをしていたらしいのです。
私の頭はもうぐちゃぐちゃでした。何不自由なく幸福に見えた家庭がどれほど見せかけのものだったのか。自暴自棄になり、私は「こんな家庭もうどうでも良い。離婚したいならすれば良い。ぶっ壊れた方が良い。」と吐き捨てました。唯一冷静だったのは兄でした。兄は泣きながらも、「俺は家族がバラバラになるの嫌だよ。父さんも相手とちゃんと別れよう、もう精算しよう。」と家族を繋ぎ止めました。結局、兄が父の携帯で不倫相手に電話を掛け、説得する形でその日は治りました。
翌朝、私が玄関で通学シューズを履いている時、母が私の背中を抱きしめ、引き攣った声で「昨日はごめんね、嫌な思いばっかりさせて」と呟きました。未熟な私は父も母もまだ許せませんでした。
「いやもういいです。別にどうでもいいんで」
母は今にも泣き出しそうな声になり、さらに強く私を抱き締めました。
「そんな風に言わないで」
「わかった、わかったから、遅刻するから離して」
私は縋り付く母を振り払うようにして玄関を出ました。
学校から帰った時、母はいませんでした。
携帯に父からのメッセージが届いていました。
「お母さん、また入院することになったから。」

高校生の時、母は自殺しました。
情報の特定を防ぐため、詳細は差し控えます。
あまりに急でした。鬱の寛解が進み、ようやく昔の母が帰って来たと思った矢先に起こったことでした。
父も大きくショックを受けたようでした。
あの家族会議以降も、不倫相手と連絡を取っているような不審な素振りは何度かあったのですが、今度こそきっぱりと関係を断ったようでした。
父の不倫を擁護するわけではありませんが、母を追い詰めたのは父の不倫だけではなかったように思えます。
旧弊的な母の実家が起こしてきたトラブルの尻拭いをさせられてきたのは母でしたし、親戚連中の文句の矢面に立たされることになったのも母でした。職場でも下の者たちを守るため、上の者から理不尽な仕打ちを受けていたそうです。
母は間違いなく被害者です。しかし、私はどうしても母を許せません。自殺してしまったからではありません。これだけの生き地獄に苦しんだ母に、頑張って生きろなんて口が裂けても言えません。私は生の絶対性にも、疑問を持ってしまうような人間です。
母は愛犬と心中しました。
それだけが私にとってどうしても許せない一点です。両親が不仲になって以来、私にとって家庭の中の唯一の安らぎだったあの子が、母によって殺されたこと。それが絶対に許せません。あの子が最期の時どれほど絶望したのだろうか、今でも想像して吐きそうになります。
その後、私たちは慎ましく生活しました。形は最悪でも家庭内不和に終止符が打たれたことで、昔の安らぎが少しだけ戻ってきました。
そうして大学に進学して今に至ります。大学に当たり前のように進学し、生活できているのは父のおかげである以上、私に文句をいう資格はありません。心の中の憎しみも日々風化しているのを感じます。

長いながい自分語りになりました。ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
もう少しだけ続きますが、本題はここからですのでもう少しだけ踏ん張って読んでいただけますと幸いです。

以上のようなものが、私の暗い部分に焦点を当てた半生になります。これら以上の悲しい出来事、苦しい出来事を幸いにも私は経験していません。
しかし、こういった出来事を経験したせいなのか、マイナスの出来事に対する感受性のハードルが、極端に下がってしまっているような気がするのです。
高校時代なら大学入試が近い、死にたいとなったり。
最近ではレポートの提出が間に合いそうにない、提出できないくらいなら死にたい、となったり。就活で企業が求める人物像との乖離が激しすぎて、俺は社会に不必要なんだ、となったり。頭で考えれば、あまりに極論であることはわかるのですが、感情が納得しないのです。あらゆる些細な苦難に対して、選択肢の一つとして自殺がちらつき、いちいち疲れてしまうのです。
私はできるなら生を肯定して生きていきたいのです。しかし、気づけばネットで「楽な自殺」や「死にたい」といった検索をかけてしまいます。
そして漠然と自分はいつかまた人生のなかで精神を病むだろうし、最期は自殺なんだろう、と直感してしまうのです。

同じような悩みを抱えている方、または同じような体験をされた方、あるいはこの長すぎる文章のほんの断片にでもなにか感じるところがあった方、どんな内容でも構いません。皆さんの言葉を聞かせてください。

ここまで時間を費やして読んでくださった皆さん、そしてこんな誰にも話せなかった悩みを投稿できるプラットフォームを用意した下さった管理人様、本当にありがとうございました。
154519通目の宛名のないメール
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私も主さんと同い年なので就活の部分は特に共感しました…極端だって心の何処かでわかっていても社会に要らない子 死にたいってなってそれ以外考えられないんですよね… 

小瓶主さんのような家庭環境ではなかったので全てに心から共感は難しいですがこんな返事でも良ければ嬉しいです
過酷な人生を歩んで来られた小瓶主さんに、苦しみを軽減できるような言葉を贈りたくても思いつきませんが、一つ言えることは、私が小瓶主さんでも、死が近いものになってしまうだろうと思いました。

重い荷物を背負った人は、それだけ重みのある使命、この世での役割があると思います。

辛い思いをされた小瓶主さんだからこそ、夫婦間の信頼関係、家族愛、そして生がどれだけ大切なものかということを感じられるのではないでしょうか。

今小瓶主さんが感じていることは自然なことであると同時に、一つのステージでもあります。 小瓶主さんがお母さんと同じような道を辿るという理はないように思います。苦しい思いをした小瓶主さんだからこそ、誰よりもも生を大切にしていけるときが来ると私は信じています。
ななしさん
多感な少年期にとてもつらい経験をされたのですね。

身近な人が自殺すると、残された人達はとてもショックを受け、残された方も深く傷つきます。それが、お母様なら尚更でしょう。
自殺遺族の自殺率はそれゆえに、一般の自殺率より高いそうです。

時が解決するとは言いますが、ラクニさんも心に深い傷を負ってしまわれたのでしょう。

ゆっくり、少しずつでもその傷が癒やされて行きますように。そして、お母様の分も生きて幸せになれますように。
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