15年程ずっと自殺願望がありました。それを満たす為だけに生きていたようなもので、首に縄をかけた時、勇気を出すことを夢見て生きてきました。
先日、その勇気が全く必要ない、痛みも感じない自殺が可能になったんです。今まで凍死も首吊りも飛び降りも全部だめだったのに、確かにそれなら逝けるんです。
いつでもできるのに躊躇うんです。15年前なら確実にすぐに死んだはずなのに、楽に死ねる方法さえあれば、と思い続けて来た筈なのにここ数日ずっと躊躇っているんです。生きたいのでは?と思う方もいらっしゃると思うのですが、そうでは無いのです。確かに死にたくて、間違いないのに怖くなってしまうのです。何かと理由をつけて後回しにして、そして15年分の自身に申し訳が付かなくなって死ななければ、と思うのです。
死ななければ、死ななければと思うほどパニックになってしまって、でもこれって鬱の症状に近づいている気がするし、死に近づくのか?だとかモヤモヤと考え続けてしまいます。
勇気が出せそうな1歩でも
自分ならどうするかでも
なんでも構いません。
お返事頂けると幸いです。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項
自殺のことを考えるのをやめてみるのはどうでしょうか?
例えば、いろんな事に興味を持つとか。
余談ですが、最近、私、花札を始めたんです。
なので、カンテラさんもやったことないことを、やってみるのをオススメします。
ちょっとした話なんですけど、人間は死んだらどうなるのかわからないから死ぬのが怖いそうです。人間の本能的な感情なのではないでしょうか。
カンテラさんのこれからの幸せを願っています。
私なら…ってお返事です。(自分語りしちゃってるんで、苦手だったら無視してください)
いつでもできる、けど躊躇う。それなら死なないと思います。たぶん。
いつでもできるなら、「まあ今すぐじゃなくていいか」って思えると思うので。
死が怖いのは人として普通のことだと考えます。生存本能(?)かな、と。そうじゃなきゃもっと簡単に人って死んじゃう気がするんです。最近、それってちょっと怖いな…って思って、「死ぬの怖い」って思えることが有難いことだという考えをしてます。
生きたくても人って死んじゃうんですよね…
死に急がなくてもいつか死ねちゃうんですよ…
だから私は、「まだいいんじゃないか?」
「ごめんね自分。もうちょっと待ってくれ」って許しを請いながら「死にたい」まま生きてます。
救われたいから死にたいんですよね?
逃げたいから死にたいんですよね?
その他の理由ならごめんなさい。
パニックになる時点でその行動は逃げでも救いでも何でもないと思えませんか?
良いですか?酷いことを言う様ですが、15年前に死ねなかった時点で手遅れなんですよ。
1番死にたい時に死ねなくて、その気持ちが弱い時に死ねますか?
死ねませんよ。
死ぬ事はそんなに簡単な事じゃないんです
ここで意見をもらっても、所詮私も含めて死ねなかった者の意見だ、何の役にも立たない。
精々前を向いて歩く事です。幸せも美しさも何もかもここでは感じられる。
大丈夫です、貴方は人間なのですから。
因みに、私は人が出来るギリギリの範囲まで睡眠を取らずに判断能力を鈍らせてから実行に移しました。
2回目は音楽を聴いて、死を楽しいものと錯覚させようとしました。
まぁ、全て失敗しましたがね
確実に死ねる方法を見つけたのですね。
けれど、なぜか躊躇ってしまう。
死にたいのは確かなのに、怖くなってしまう。
その怖さの一方で、いまの死にたいには、15年分の自分に対しての申し訳なさもあるんですね。
「死にたい」が「死ななければ」というふうに。
死にたいって思いながら、現実としては生きてきた。
それはどちらかと言えば積極的な生ではなかったかもしれない。
けれど、そのエネルギー、僕はすごいなって思います。
死にたいを抱えながら生をここまで運んできたのですから。
いま生きているということ。
死が現実的になった時に怖さを感じたということ。
「死にたい」に「死ななければ」が入り込んでいる、そのことに気づいたこと。
素直なことが一番だって僕は思います。
死を選ぶのも、躊躇うのも。
きっと「〇〇しなければ」に苦しんで「死にたい」になったのかなって思うんです。
ならば、いまの「死ななければ」は本意じゃないかもしれないですね。
少なくとも「死にたい」という本意じゃない。
誰でも無料でお返事をすることが出来ます。
お返事がもらえると小瓶主さんはすごくうれしいと思います
▶ お返事の注意事項