独り言だから。
お返事いりません。
気づいちゃった。
自分で命を断つなんてもったいないとか、明るい未来があったのにとか。
そういうことを考えるのは、死んだ本人じゃなくて、後に残った生きてる人達なんだ。
死んだら、終わり。
何もなくなるだけ。
後悔なんて、したくてもできない。
最後の苦しみさえ乗り越えてしまえば、あとはもう何も考えなくていい。
なんて素敵な逃げ道なんでしょう。
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ななしさん
お返事不要とのことですが、私も小瓶を流すような気持ちで、
読んでもらっても読んでもらえなくてもかまいません、
つぶやかせてください。
15792通目を書いたものです。
私は祖父を2人亡くしています。
そのときに感じたことというのと、あなたの考えがすこし似ているような気がして。
『「人が死ぬ」ということは「残される」ということなんだなぁ』って。
死ぬ ということは 私にとってその人がいなくなるということで
生きる人がいるから「死んだ」って認識されるんだなぁって。
ついこの前、友人が「逃げ道」に逃げ込んで、そのままいってしまいました。(15792通目参照)
誰もその友人を責めることなんてできないです。
だけど、とても寂しくて悲しいです。
逃げる人にさらに追い打ちをかけるような、「それでも生きろ」だなんて言葉、軽々しくは言えない。
本来その言葉は発する人にもとても勇気のいることだと思います。
そして、勇気と誠意をもってその言葉を発する人を私は尊敬します。
友人を亡くした今私が言えることは
さびしくて悲しい
ただそれだけです。
ななしさん
14586 通目に書いた者です。
ふと、この内容をみて思いました。
彼もこんなふうに思ってたのかな…と。
私が言える事でわないですが
残された家族や周り、すごく辛いってもんぢゃないです。
彼わまだ、成仏できてないと思います。
身の回りで色々あるので…。
直接関係ないにしてもそう繋げてしまう。
死んでしまってからも後悔はするんぢゃないかなって思います。
ななしさん
いやー……
案外死んだあとも大変らしいですよ。
上下関係っていうんでしょうか、そういうの厳しいんですよ、あちらはあちらで。
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