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生と死について 2 死に対する、思想を始めよう。私が初めて死を意識し、考え始めたのは小学校中学年の頃だった。家族も学校にいる子供たちも先生方も嫌いだった

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死に対する、思想を始めよう。

私が初めて死を意識し、考え始めたのは小学校中学年の頃だった。家族も学校にいる子供たちも先生方も嫌いだった。
なぜか行きたくない学校、喚き騒ぎ意地でも学校に行かす親。髪の毛は引っ張られて痛かったし、少量であるが水もかけられた。二つ上の兄には踵を落とされたし、何もしてなくとも蹴られた。
散々なガキの頃を過ごしたせいで、あったはずの楽しい思い出がかき消えてしまって、この頃の私は「死にたかった」となっている。
キャンプに連れて行ってもらった、旅行に沢山行った、友達と自転車で出かけた。こんなもの中身のない。作り話と言われれば、私は容易に信じるだろう。
私は夜に逃げた。体が勝手にそうした。眠っていれば誰も何も私を惨めにしない。痛くない苦しくない。静かで、楽だ。

死にたい。生きていたくない。消えたい。
逝きたい。
本当にそれでいいのだろうか。死んだらどうなるのだろうか。何か得るはずだったものが失われるのではないか。痛いのは嫌だな。
そんなこんなでもう成人を過ぎた。
今の私は「死にたくはない。」
今まで散々考えた。
惨めな人間生活、大嫌いな勉強、塾三昧の中学受験。
病院に行かされた、お医者様と話せなくなった。
母と会話が苦手になった。
自分が大嫌いになった。
それでも私は死にたくない。

死をなぜ望むのだろうか。
今の現状が苦しいから、生きる意味がわからないから、希望がない、疲れた。

生きている意味がないなら、死ぬ意味もない。
相対する2つは片方が失われればもう片方も失われるのだ。光がなければ影はなく、生がなければ死はない。強い光があれば影は濃くなる。
死にすら意味がないなら、生きて意味をつけなければいけない。

なぜ苦しいのだろうか、なぜ希望がない、なぜ疲れている。これは自らの世界を見誤り、作り違えているからではないだろうか。
自分の世界は自分の行動する、手を伸ばし関わった範囲で存在する。正しく隅々まで見渡してみよう。
無駄に広く見ていないだろうか、広すぎる視野は手前の些細な光を見失う。
手が届いている幻覚を見ていないか、不要、無意味な領域にまで注意を払い、意識を向ける必要はない。なぜなら無駄だからだ。
自分の視界を塞いでいないだろうか。うずくまり、下を向いていては自分の世界すら見通せない。足元の暗闇を見て絶望だと言っていないか。

今生きている自分は、次の瞬間、本当に自分だろうか。明日生きる私は私だろうか。
振り向けば、過去の私が苦く笑っている気がする。今の私を罵ることも、高望みをするわけでもなく。「なんとか、頑張らなくとも笑えますように。」そう言われ、次には私が過ぎ去る。私もまた苦く笑うことだろう。
この先の私の誰かが救われるかもしれない。私の死が、未来の私から全てを奪い消してしまう。そんな思考が私を少なからず生かすのだ。

何も成し遂げてはいない。何もやらかしてはいない。それでも、今考えて今生きているこの空間の全ての情報が消え去り私が消え去り、私に関わった人間が嘘でできた私を憶えている。あまりに不完全な十人十色の私を知っている。死という最大のイベントを無理矢理迎えた私が、関わった人間を十人十色が傷付けないか、例え引っ掻き傷程度の傷でも、私が他者に影響してはいけないと思う。

後悔すらできない死を、考えるのは生きているものの所業だ。無意味かもしれない。無価値かもしれない。でも、死は望まずとも来る。側を歩く人は明日にはいないかもしれない。昨日挨拶した見知らぬ人は今日もういないかもしれん。
死は、続かない。だから続いている生を考える方が容易いだろう。それでも死はいずれ肩を叩いて無情に手を引いてくるだろう。
すごく頑張って明日死ぬ気で生きろなんて言えない。無理だ。でも、死は側にある。あなたの傍、母より近く寄り添っている。
人生は暇つぶしではない。なぜなら暇つぶしとは前後にやるべき事がある、その物事の間を言うだろう。前後には何もない。あるのは生と死という現象と結果、過程が人生だと考える。

どれだけの時間考えていても、変わり、代わり、過ぎる生と死への想いを、残すことをするようになった。過去は私を生かそうというのだ。


さて、あなたはどう考える。
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私も小学校中学年くらいに死を意識して、成人になって、いま生き死にについて色々と思考している。なので、「すごく素敵だな」と思って読ませてもらいました。
きっと、この思想は、主さんが今まで生きてきたからここに紡がれたんだろうと思い、感慨深くもあります。
小さい頃に「死にたい」を側に置いたから、私は貴方の小瓶に共感する部分を見出だせた。この現在が失われずに済んだこと、死を望む私にとってはどうでもいいでしょうが…
生を望む私にとっては本当に素晴らしいことだと考えます。

小瓶に閉じ込めた、この時の冬空さんの思想、見れたことに感謝します。
ありがとうございました。
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