世間には相対評価と絶対評価があるよね。
まず相対と絶対は逆の意味で、
-相対-
他との関わりによって、
価値や性質をもつこと。
-絶対-
他とかかわりなく、
それ自体で価値や性質を持つこと。
【参照】読解を深める現代文単語
相対はこっちの方が正しい、あっちは間違ってるってイメージしてる。
それよりかは、こっちとあっち、両方良い部分も悪い一面もあるけれど、こっちのほうが良さそうだ、っていうほうが好き。ふわふわした答えだけど決めつけるよりは自分としてはしっくりくる。
絶対の方はある種盲目的な部分がある。
宗教、保守主義とかそうなんじゃない?
自分の過ちを認めたら負け、ミスを犯した自覚はあれど決して認めないとかいう、自分の中での勝負事を勝手にやってる人。
それはほどほどにしておいて、自分が評価によって苦しむのは、相対評価と絶対評価のどちらかに偏った考えをしてしまうからだと最近感じてきた。
まず相対評価に偏りすぎているとき。
成績や、性格、声質とかそういったものを他人と比べて、勝手に劣等感を抱いて自滅してくパターン。
他人は所詮他人。
比べるべきなのは過去の自分。
自分が持って生まれたもので勝負するしかないのだから、必要なもので不足している分は足せるように、持っている技術は磨くために、過去の自分の反省をする。
そういったものに他人の評価は必要ないというのに何故、比べてしまうのだろう。
次に絶対評価に偏りすぎているとき。
こうするべき、とかいう所謂べき論によって、そこまで到達しなければ終われないという縛りプレイ。
到達点が高すぎて、途中で意気消沈してしまったり、べき論が無ければもう少しできたのかもしれないことが、出来なくなる。
共通テストでもセンター入試でも、現代文は最も適当なものを選択せよとあるのだから、多少の違和感はあれど、妥協するのが大事。
妥協はするものの、自分の世界で精進するようにして生きるのが、社会で必要な能力で結局強いんじゃないのってこと。
働いたことないから分かんないけどさ。
2021/9/10 0:12