「いなくなりたい」とか「消えたい」とか「死にたい」とか言うと、第三者が大抵「生きたくても生きられない人がいるから云々云々」と返す。
でも、第三者はこっちは生きているだけで辛い、悲しい、虚しい気持ちには気づいていない。
だから言えるのかな?と。
もし、“命”が粘土みたいに細かく分けらるのならば、私の命を「生きたくても生きられない人」に分けたい。
それが出来たらどれだけいいか。
やれるものならやりたい。
こんな汚れた命でよければ。
無駄に丈夫な自分が憎い。
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名前のない小瓶
すごくわかるなぁ。
私も生きられなくていいって思ったこと
他人に話したら全く同じこと言われた。
そういうことじゃないんだよね。
生きたくても生きられなかった誰か
のストーリーはその人のもの。
生きられるけどいなくなりたい自分
は、今が辛い自分のストーリーなんだよね。
どこかの誰かと比較して解消されるなら、こんな悩まないよな。
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